ハンガリー協奏曲や、ラ・カンパネラで有名なハンガリー生まれ
のフランツ・リストは、少年時代から天才的ピアニストとしてヨーロ
ッパじゅうでもてはやされ、天性の美貌と相まって女性遍歴も普通
ではなかった。
恋した女性は必ず情人とし、その多くは貴族の婦人であった。
彼の娘コジマも、26さいのとき、伯爵夫人マリー・タグーに生ませ
た娘であった。中年になったリストは、二歳年下の無名の作曲家
ワーグナーの天才を認め、彼を世に出すことに熱中した。
ところが、59才の時、既に人妻となっていた娘のコジマを奪い取
った。リストは、ワーグナーを説教したが、ワーグナーはこう言っ
た。
「あなたの生き方が正しかったとしたら、私の生き方も間違っては
いないはずです」。
この悶着で、娘のコジマは父リストと断絶した。リストの好色は、
実の娘によってその報いを受けたのである。娘から、そんな仕打
ちを受け、地獄を味わい、僧籍に入り司祭になったリストだった
が、それでも彼の女道楽は止まらなかった。、