森のお医者さん


                 盲腸



    子供の頃、虫垂炎のことを「盲腸」と呼んでいた。盲腸になったといえば虫垂炎のこと

   で、「盲腸を切った」といえば虫垂を切除したということで、ポピュラーな病気だった。実際、

   父も弟も盲腸を切っているし、中学になると、クラスに2,3人は盲腸を切って学校を休んで

   いた。盲腸はうつる病気だとも言われていたし、スイカの種を飲むと虫垂に引っかかり、盲

   腸になるとも言われていた時代である。

    外科医の手習いとまで言われたこの手術が、今では激減している。抗生物質の進化が

   理由のひとつと思うが、当時はやたらと盲腸を切る傾向にあったような気がする。昔は腹

   膜炎になっては大変だったので、早めに切っておく、みたいな雰囲気があったのだろう。

    中学3年のとき、腹が痛くなってある部活ができなくなり、外科医院にかかった。そこは盲

   腸の手術が上手いという評判の医院だった。診察と血液検査の結果、盲腸で手術が必要

   と言われた。陸上の県大会が2週間後に控えていることを話したら、それじゃあ、大会が

   終わってからでいいとの返事だった。抗生剤を出されたのかどうかは記憶にないが、症状

   が治まりなんとか大会に出ることができた。肝心の大会はというと、決勝に残ることができ

   ず、あっけなく終わってしまった。それは、盲腸のせいだけではなく、実力不足とハートの

   強さを備えていなかった心の問題だった。

    その外科の先生は、盲腸の手術の権威だったから、手術は入院当日でよくて、局所麻

   酔で手術をやっていた。20分くらいで終わるという説明とは裏腹に、手術は難航した。手

   術当日は朝ごはんを、ごく普通に食べたせいか、腸が引っ張られて吐き気がひどかった

   (もしかしたら禁食と言われていたかもしれない)。先生からは「あと10分だから、もう少し

   我慢しなさい」と言われ、素直に我慢し続けたが、手術室に掛けられた大きな丸時計の秒

   針は思うように進まなかった。時計を見ると、その10分はとうに過ぎ、50分近く経過してい

   た。はじめて受ける手術だったが、手術ってこんなにつらいものかと切なかった。 

    ようやく手術を終えると、安堵とともに、胃の中のものを一気に吐いた。看護婦さんは、

   (しようがないわねぇ)みたいな顔でわたしをなだめながら、吐いたものをきれいにしてくれ

   た。

    病室のある二階へは、ゆるやかな半円状のスロープでつながっていた。今思えば、階段

   ではなく、スロープというのが、この医院の売りだった。普通なら、腰椎麻酔で手術して、ス

   トレッチャーに乗せられて病室に戻るのだが、局所麻酔で手術して、歩いて病室に返すと

   いうのが、盲腸の名医の由来だったからである。

    手術を終えたわたしは、看護婦の指示された通りに、手すりを頼りに、一人でなだらかな

   スロープを登って病室へと戻った。わたしは、ベッドに横たわるなり、また気分が悪くなり、

   部屋の片隅にある洗面所に駆け寄り、また吐いた。

    翌日、二人用の病室に、もう一人患者が入ると聞かされていた。その人は、中学時代の

   陸上部の一年先輩だった。やはり、盲腸は身近な存在だった。先輩は高校生で、わたしよ

   りずっと性の知識が豊富だったため、一週間の入院でかなり大人の知識を身につけること

   ができた。一応受験生なので参考書を持って行ったのだが、その本は一度も開かれること

   なく、先輩の勧めてくれた一冊の本を真剣に読むことになった。たしか「わたしは13歳」と

   いう表題だった気がする。イギリスのある少女が男の子と恋に落ちて、13歳で子供を産む

   という、当時のわたしには衝撃的な内容だった。

    先輩は、面白おかしい話を豊富にもっていた。下ネタが少し入っているのが味噌で、笑

   いで腹筋に力が入りすぎ、傷口が開くから止めてほしいと言うと、もっと腹がよじれる話を

   して、わたしを苦しめた。

    病院の窓から中学校のグラウンドが見えた。夕方になると、毎日窓に寄りかかって眺め

   ていた。陸上部の生徒が練習していたからである。夕焼けで赤く染まった空の下に、焦げ

   茶色のトラックを走っているのを見て、未熟ながらも、健康とはこういうことかと思ったりし

   た。

    一週間で退院したあと、最後の診察に再び訪れた。先生からこれで終わりといわれ、や

   っと解放された気分になった。そして、会計に呼ばれた。ガラス窓で仕切られた小さな窓

   口から、若い事務員の女の人から、入院にかかった費用を告げられた。

   「100万円です・・・」彼女は、たしかにそう言った。

   「エッ?」と言ったまま黙っていると、正式な領収書を手元にそっと差し出した。わたしは、

   彼女のユーモアに応えるほどの余裕がなく、領収書に書かれた金額を支払った。彼女は

   わたしの顔を見ながら、微笑んでいた。