実家には、背丈が1メートルほどのオジロワシの剥製がある。祖父の時代に地元の猟師が仕留めたもので、伝説のような話も残っている。 村の猟師が山に出かけ、腰を下ろして休んでいたところ、とつぜんあたりが暗くなった。ふと後ろを振り向くと、大きな鳥が猟師に向かって急降下してきた。驚いた猟師は、とっさに引き金を引いたところ、運よく一発で仕留めた。 それは、見たこともない大きなワシだった。その話を聞きつけた祖父が、このまま食べられてしまうには、あまりに惜しいと、猟師から買い取り、内臓を取り出し、汽車で東京まで送って剥製にしてもらったものらしい。大正から昭和にかけての頃だから、もう100年ほど前の話になる。  この伝説は、猟師の自慢話が高じて出来上がったか、誰かの作り話しだろう。いくら大きなワシでも、人間を襲うということはあり得ないし、あたりが暗くなったのであれば、それは恐竜でなければならない。伝説というのは、嘘のようなあり得ない話のほうが人々には好まれ、語り継がれていくにしたがって、尾ひれがついて、真実味を帯びていくものかもしれない。  真夏のある休日に、用があって自宅から医院に向かって、車で国道を走っていたときのことである。道路脇に鳥が1羽横たわっていた。昔バードウォッチングに凝っていた時期があり、すぐにタカだとわかった。稲の刈取りが終わった晩秋になると、道路脇の田んぼの上を、ホバリングをして鼠を狙っているチョウゲンボウを何度か見かけたことがある。大きさもそれに近い、おそらく車に当たって死んだのだろう。  実家のワシの剥製が頭をよぎり、とっさに引き返した。近づいてみると、頭から血を流していた。手に取ってみると、すこし臭ったが、まだ間に合うと判断し、持ち帰ることにした。家に帰ってからすぐにビニール袋に入れて、冷凍庫に入れた。  さっそくネットで剥製を請け負っている業者をいくつか調べてみた。その人は、中学を卒業してから剥製の仕事の仕事に就き、半世紀にわたって剥製一筋ということだった。博物館からの依頼も多く、どの作品の写真を見ても素晴らしいものばかりだった。製作費は他より高かったが、自分の力量に対する自信の表れという気がした。連絡を取ってみると、電話で返事がきたが、すこし厄介な話だった。  野鳥はすべて役所へ届け出て、登録票を受けなければ剥製にはできないとのことだった。たとえそれが死骸であっても、違法な取得でないことを証明しなければならなかった。「そこを何とか、とお願いしますよ」と頼んでみたが、姑息な頼みを聞きいれるような人ではなく、その人の指示に従うことにした。それで、県の出先にある環境課へ出向くことになった。  あらかじめ約束していたので、担当の若い男性と女性の上司がすぐに対応してくれた。環境課といえども、野鳥の持ち込みはあまりないのか、小さな野鳥のポケット図鑑を取り出し、頁をめくりながら「どれでしょうかねえ」などと言って冷凍されたタカと何度も見比べていた。なかなか決まりそうになかったので、わたしは、チョウゲンボウではないかと言った。「鳥に詳しいんですか?」と聞いてきたので、そうではないけれど、発見した道路脇で、何度かチョウゲンボウが空中で羽ばたきながら獲物を探しているのを見かけたことがあるので、と答えた。すると、「そうですか、それじゃあ、チョウゲンボウ、ということで・・・」と言って登録票を作ってくれた。  帰る途中に、ふと思った。(いや、待てよ、チョウゲンボウにしては背中が黒過ぎるじゃないか、顔もかわいらしくなくて、精悍な顔つきだったし)そう思って、図鑑で調べてみると、まったくチョウゲンボウではなかった。思いこみというのは、おそろしいものだと反省しつつも、図鑑に載ってあるどれにも似ているタカはいなかった。 困った挙句、写真を撮って剥製の人にメールで送ってみた。すると、その日のうちに電話が来て、思わぬ名前を口にした。「これは、ハヤブサの幼鳥ですよ、これからお腹の羽毛が白くなっていくんですよ」どおりで、図鑑に載っていないはずだった。実は登録票はチョウゲンボウになってしまっているんですが、この登録票のままでお願いします、と言ったところ、渋い返事が返ってきた。 「それがダメなんですよ、ハヤブサは、クマタカと並んで希少種として絶滅危惧種に指定されているから、扱えないんですよ、チョウゲンボウだと思って剥製にしたなどと言っても、専門家は間違えるはずはないから、後でばれたら、お縄を頂戴することになるので」じゃあ、どうすればいいんですか?と聞くと、「ハヤブサとしての登録票があれば、堂々と剥製にできますが、ハヤブサだと登録票を出してくれるかなあ・・・」  思わぬ展開になったが、環境課の担当の人は、鳥の知識のない人みたいだから、よく調べたらハヤブサの幼鳥でした、と軽い感じで言えば、「はい、はい」と言ってくれそうな気がした。「希少種なんですが、大丈夫でしょうか?」などと言っては、警戒されるかもしれなかった。そして、再び環境課へ出向くことになった。 ネットでハヤブサの幼鳥の写真をコピーして、発見したときの写真と比べて説明すると、期待した通り「ああ、そうですね、わかりました」と言って、チョウゲンボウの字に二重線を引いて、自分の印鑑を押した。(えっ)と思い、これだと、自分が勝手に線を引いてハンコを押したと疑われかねないので、新しく作りなおしてくれませんか、と聞くと、「それもそうですね、ちょっとお待ちください」と言って、何も問われることなく新しい登録票を手に入れることができた。 もう一度剥製の人に連絡をとった。「よく出してくれましたねえ、でも登録票があればこっちのものですよ」(よっしゃ、まかしなさい)と言わんばかりの弾んだ返事がかえってきた。早速、クール宅急便で送ることになった。 翌日、剥製の人から電話がきた。届いたという知らせだと思い、電話に出てみると、また気まずそうな声が聞こえてきた。「ゆっくりと解凍してみると、すこし臭うんですよ」嫌な予感がした。確かに、手にしたとき少し臭って気にはなっていたのだが、その不安が的中した。 「頭の毛を引っ張ると抜けてくるんですよ。これは死んでから時間がたったいる証拠なんですよ。首から下は全く問題ないんですが、肝心の頭の毛が抜けてしまっちゃねえ。一応保存できる状態で送り返しますから。冷蔵庫にでも入れておけば、半永久的に持ちます。もし代わりになる頭が見つかったら、わからないように取り換えることもできますから、その時は連絡ください」 「絶滅危惧種の鳥なんだから、またハヤブサの死骸を拾うなんて、一生に一度どころか、三生に一度もないですよ。それじゃあ、わたしが死ぬときに、代わりの頭が見つかるまで、決して捨ててはならぬと、子や孫の代まで伝えておかないといけませんね」などと口に出しては言えるはずもなく、「わかりました、いろいろとお手数をおかけしました」と言って、剥製の人とのやり取りは終了した。ハヤブサは、とりあえず冷凍庫に保管されたままになっている。 それからというもの、あり得ないとわかってはいても、毎日医院の行き帰りに、道路脇を眺めることが多くなった。そんなある日、道路脇にタヌキの死骸がころがっていた。まさか、タヌキの首と取り換えるわけにもいかないし・・・正直、困っている。

森のお医者さん

 

                 剥製



     実家には、背丈が1メートルほどのオジロワシの剥製がある。祖父の時代に地元の猟

    師が仕留めたもので、伝説のような話も残っている。

     村の猟師が山に出かけ、腰を下ろして休んでいたところ、とつぜんあたりが暗くなっ

    た。ふと後ろを振り向くと、大きな鳥が猟師に向かって急降下してきた。驚いた猟師は、

    とっさに引き金を引いたところ、運よく一発で仕留めた。

     それは、見たこともない大きなワシだった。その話を聞きつけた祖父が、このまま食べ

    られてしまうには、あまりに惜しいと、猟師から買い取り、内臓を取り出し、汽車で東京ま

    で送って剥製にしてもらったものらしい。大正から昭和にかけての頃だから、もう100年ほ

    ど前の話になる。

     この伝説は、猟師の自慢話が高じて出来上がったか、誰かの作り話しだろう。いくら大

    きなワシでも、人間を襲うということはあり得ないし、あたりが暗くなったのであれば、そ

    れは恐竜でなければならない。伝説というのは、嘘のようなあり得ない話のほうが人々

    には好まれ、語り継がれていくにしたがって、尾ひれがついて、真実味を帯びていくもの

    かもしれない。

     真夏のある休日に、用があって自宅から医院に向かって、車で国道を走っていたとき

    のことである。道路脇に鳥が1羽横たわっていた。昔バードウォッチングに凝っていた時

    期があり、すぐにタカだとわかった。稲の刈取りが終わった晩秋になると、道路脇の田ん

    ぼの上を、ホバリングをして鼠を狙っているチョウゲンボウを何度か見かけたことがある。

    大きさもそれに近い、おそらく車に当たって死んだのだろう。

     実家のワシの剥製が頭をよぎり、とっさに引き返した。近づいてみると、頭から血を流し

    ていた。手に取ってみると、すこし臭ったが、まだ間に合うと判断し、持ち帰ることにし

    た。家に帰ってからすぐにビニール袋に入れて、冷凍庫に入れた。

     さっそくネットで剥製を請け負っている業者をいくつか調べてみた。その人は、中学を卒

    業してから剥製の仕事の仕事に就き、半世紀にわたって剥製一筋ということだった。博

    物館からの依頼も多く、どの作品の写真を見ても素晴らしいものばかりだった。製作費は

    他より高かったが、自分の力量に対する自信の表れという気がした。連絡を取ってみる

    と、電話で返事がきたが、すこし厄介な話だった。

     野鳥はすべて役所へ届け出て、登録票を受けなければ剥製にはできないとのことだっ

    た。たとえそれが死骸であっても、違法な取得でないことを証明しなければならなかっ

    た。「そこを何とか、とお願いしますよ」と頼んでみたが、姑息な頼みを聞きいれるような

    人ではなく、その人の指示に従うことにした。それで、県の出先にある環境課へ出向くこ

    とになった。

     あらかじめ約束していたので、担当の若い男性と女性の上司がすぐに対応してくれ

    た。環境課といえども、野鳥の持ち込みはあまりないのか、小さな野鳥のポケット図鑑を

    取り出し、頁をめくりながら「どれでしょうかねえ」などと言って冷凍されたタカと何度も見

    比べていた。なかなか決まりそうになかったので、わたしは、チョウゲンボウではないか

    と言った。「鳥に詳しいんですか?」と聞いてきたので、そうではないけれど、発見した道

    路脇で、何度かチョウゲンボウが空中で羽ばたきながら獲物を探しているのを見かけた

    ことがあるので、と答えた。すると、「そうですか、それじゃあ、チョウゲンボウ、ということ

    で・・・」と言って登録票を作ってくれた。

     帰る途中に、ふと思った。(いや、待てよ、チョウゲンボウにしては背中が黒過ぎるじゃ

    ないか、顔もかわいらしくなくて、精悍な顔つきだったし)そう思って、図鑑で調べてみる

    と、まったくチョウゲンボウではなかった。思いこみというのは、おそろしいものだと反省し

    つつも、図鑑に載ってあるどれにも似ているタカはいなかった。

     困った挙句、写真を撮って剥製の人にメールで送ってみた。すると、その日のうちに電

    話が来て、思わぬ名前を口にした。「これは、ハヤブサの幼鳥ですよ、これからお腹の羽

    毛が白くなっていくんですよ」どおりで、図鑑に載っていないはずだった。実は登録票はチ

    ョウゲンボウになってしまっているんですが、この登録票のままでお願いします、と言っ

    たところ、渋い返事が返ってきた。

     「それがダメなんですよ、ハヤブサは、クマタカと並んで希少種として絶滅危惧種に指

    定されているから、扱えないんですよ、チョウゲンボウだと思って剥製にしたなどと言って

    も、専門家は間違えるはずはないから、後でばれたら、お縄を頂戴することになるので」

    じゃあ、どうすればいいんですか?と聞くと、「ハヤブサとしての登録票があれば、堂々と

    剥製にできますが、ハヤブサだと登録票を出してくれるかなあ・・・」

     思わぬ展開になったが、環境課の担当の人は、鳥の知識のない人みたいだから、よく

    調べたらハヤブサの幼鳥でした、と軽い感じで言えば、「はい、はい」と言ってくれそうな

    気がした。「希少種なんですが、大丈夫でしょうか?」などと言っては、警戒されるかもし

    れなかった。そして、再び環境課へ出向くことになった。

     ネットでハヤブサの幼鳥の写真をコピーして、発見したときの写真と比べて説明する

    と、期待した通り「ああ、そうですね、わかりました」と言って、チョウゲンボウの字に二重

    線を引いて、自分の印鑑を押した。(えっ)と思い、これだと、自分が勝手に線を引いてハ

    ンコを押したと疑われかねないので、新しく作りなおしてくれませんか、と聞くと、「それも

    そうですね、ちょっとお待ちください」と言って、何も問われることなく新しい登録票を手に

    入れることができた。

     もう一度剥製の人に連絡をとった。「よく出してくれましたねえ、でも登録票があればこ

    っちのものですよ」(よっしゃ、まかしなさい)と言わんばかりの弾んだ返事がかえってき

    た。早速、クール宅急便で送ることになった。

     翌日、剥製の人から電話がきた。届いたという知らせだと思い、電話に出てみると、ま

    た気まずそうな声が聞こえてきた。「ゆっくりと解凍してみると、すこし臭うんですよ」嫌な

    予感がした。確かに、手にしたとき少し臭って気にはなっていたのだが、その不安が的

    中した。

     「頭の毛を引っ張ると抜けてくるんですよ。これは死んでから時間がたったいる証拠な

    んですよ。首から下は全く問題ないんですが、肝心の頭の毛が抜けてしまっちゃねえ。一

    応保存できる状態で送り返しますから。冷蔵庫にでも入れておけば、半永久的に持ちま

    す。もし代わりになる頭が見つかったら、わからないように取り換えることもできますか

    ら、その時は連絡ください」

     「絶滅危惧種の鳥なんだから、またハヤブサの死骸を拾うなんて、一生に一度どころ

    か、三生に一度もないですよ。それじゃあ、わたしが死ぬときに、代わりの頭が見つかる

    まで、決して捨ててはならぬと、子や孫の代まで伝えておかないといけませんね」などと

    口に出しては言えるはずもなく、「わかりました、いろいろとお手数をおかけしました」と言

    って、剥製の人とのやり取りは終了した。ハヤブサは、とりあえず冷凍庫に保管されたま

    まになっている。

     それからというもの、あり得ないとわかってはいても、毎日医院の行き帰りに、道路脇を

    眺めることが多くなった。そんなある日、道路脇にタヌキの死骸がころがっていた。まさ

    か、タヌキの首と取り換えるわけにもいかないし・・・正直、困っている。