さまざまな病気に関する治療法や、生き方についての指南書などが、書店では洪水のように溢れています。しかし、いかに死を迎えるかについて書いてある本はほとんどありません。あることにはあるのですが、死を悲しい出来事として捕え、その死をどのように受け入れたらいいかという、生への惜別の言葉に過ぎないものがほとんどです。 宗教関係の本は、信仰心を頼りにして死を説こうとするので、信仰のない人間には説得力がないし、そもそも信仰心のある人間でさえ、難しい言葉をつかった説教を理解しているとは思えません。  善いことをすれば幸せになり、悪いことをすれば不幸になるという教えがあります。ですが実際には、真面目で生きていて惨めな死に方をすることもあるし、好き放題に生きている人間の方が、楽しい人生を送っている人間もいます。そこで、善いことをすれば死んでから天国に行き、悪いことをすれば地獄へ行くなどと、子供だましのような論法になるのですが、そんな単純な説法では、まともな大人は信じてくれません。  それでも、死を考えずに生きている人間でも、死が近づいてくると、死後の保証のようなものが欲しくなります。慈善事業に寄付して自分の名前が後世に残ることを願ったり、死に際にみずから犯した罪を悔い、懺悔することで、天国への切符を得たいなどと思ったりする人もいます。ですが、そんなことをしても、まったく意味はありません。  使い古された表現ですが、死ぬということは、生まれたときから百パーセント決められた出来事であり、誰も逃れることはできません。なのに、死後のことをきちんと説明してくれる指南書もなく、テレビでは死後の世界について、この世に恨みや執着を残した低級霊ばかりを取り上げ、いたずらに恐怖を煽っているだけです。  いったい、自分とはいったい何でしょうか?この肉体だけが自分なのでしょうか?歩いたり、喋ったりするのは、脳から神経を介して肉体を動かすからですが、その最初の動かそうとする感情は、脳細胞から生まれるのでしょうか? 細胞から感情が生まれるなんて、よく考えたらおかしくないでしょうか?やはり、感情を生み出すものは他にあって、それが肉体を道具として使用しているだけなのです。それが、精神ということになります。  それでは、精神はどこから来るのか、ということになります。目に見えない精神は、当然目に見えないものから生まれます。それは、霊魂です。その証拠を見せろと言われても、わたしたちの多くは、霊魂を五感で感じることはできませんし、現代のレベルの科学では証明することはできません。 生とは、霊魂が肉体に宿ることを意味し、死とは、肉体から霊魂が抜け出すことを意味します。霊魂は、この世で経験した様々なものを持ち帰って元の世界に戻ります。目に見える成果を持ち帰るのではなく、そのために努力した行為を持ち帰るのです。ですから、結果として成功したか失敗したかは問題ではありません。そして、この経験や思想などが、これからの霊魂の進化に影響を及ぼすのです。 俗にいうあの世の世界では、わたしたちの関心の対象となるのは、お金や物ではなく、それぞれのこの世から持ち帰った行為だけです。死とは、無に帰することではなく、単に肉体を離れるだけのことで、霊魂がもともといた霊の世界に戻るのです。 この真実を、できることなら人から押しつけられるのではなく、みずからの理性によって信じてもらえたら、死をそれほど恐れることはないだろうと思います。

森のお医者さん


             死とは何か




     さまざまな病気に関する治療法や、生き方についての指南書などが、書店では洪水の

    ように溢れています。しかし、いかに死を迎えるかについて書いてある本はほとんどあり

    ません。あることにはあるのですが、死を悲しい出来事として捕え、その死をどのように

    受け入れたらいいかという、生への惜別の言葉に過ぎないものがほとんどです。

     宗教関係の本は、信仰心を頼りにして死を説こうとするので、信仰のない人間には説

    得力がないし、そもそも信仰心のある人間でさえ、難しい言葉をつかった説教を理解して

    いるとは思えません。

     善いことをすれば幸せになり、悪いことをすれば不幸になるという教えがあります。です

    が実際には、真面目で生きていて惨めな死に方をすることもあるし、好き放題に生きてい

    る人間の方が、楽しい人生を送っている人間もいます。そこで、善いことをすれば死んで

    から天国に行き、悪いことをすれば地獄へ行くなどと、子供だましのような論法になるの

    ですが、そんな単純な説法では、まともな大人は信じてくれません。

     それでも、死を考えずに生きている人間でも、死が近づいてくると、死後の保証のような

    ものが欲しくなります。慈善事業に寄付して自分の名前が後世に残ることを願ったり、死

    に際にみずから犯した罪を悔い、懺悔することで、天国への切符を得たいなどと思ったり

    する人もいます。ですが、そんなことをしても、まったく意味はありません。

      使い古された表現ですが、死ぬということは、生まれたときから百パーセント決めら

    れた出来事であり、誰も逃れることはできません。なのに、死後のことをきちんと説明し

    てくれる指南書もなく、テレビでは死後の世界について、この世に恨みや執着を残した低

    級霊ばかりを取り上げ、いたずらに恐怖を煽っているだけです。

     いったい、自分とはいったい何でしょうか?この肉体だけが自分なのでしょうか?歩い

    たり、喋ったりするのは、脳から神経を介して肉体を動かすからですが、その最初の動

    かそうとする感情は、脳細胞から生まれるのでしょうか?

     細胞から感情が生まれるなんて、よく考えたらおかしくないでしょうか?やはり、感情を

    生み出すものは他にあって、それが肉体を道具として使用しているだけなのです。それ

    が、精神ということになります。

      それでは、精神はどこから来るのか、ということになります。目に見えない精神は、当

    然目に見えないものから生まれます。それは、霊魂です。その証拠を見せろと言われて

    も、わたしたちの多くは、霊魂を五感で感じることはできませんし、現代のレベルの科学

    では証明することはできません。

     生とは、霊魂が肉体に宿ることを意味し、死とは、肉体から霊魂が抜け出すことを意味

    します。霊魂は、この世で経験した様々なものを持ち帰って元の世界に戻ります。目に見

    える成果を持ち帰るのではなく、そのために努力した行為を持ち帰るのです。ですから、

    結果として成功したか失敗したかは問題ではありません。そして、この経験や思想など

    が、これからの霊魂の進化に影響を及ぼすのです。

     俗にいうあの世の世界では、わたしたちの関心の対象となるのは、お金や物ではなく、

    それぞれのこの世から持ち帰った行為だけです。死とは、無に帰することではなく、単に

    肉体を離れるだけのことで、霊魂がもともといた霊の世界に戻るのです。


    この真実を、できることなら人から押しつけられるのではなく、みずからの理性によって信

    じてもらえたら、死をそれほど恐れることはないだろうと思います。