黒鯛を釣るつもりだと、伸介はいった。ふたりが海辺にたどり着いたとき、太陽は地平線に接したばかりで、海は赤く染まっていたが、堤防の先にたどり着く頃には、すでに黒ずんでいた。頭上には、無数の星が瞬きはじめていた。
雅之は、伸介に作ってもらった仕掛けにゴカイを刺し、電気浮きとともに、海へと放りこんだ。海は穏やかにうねり、月光に照らされた水面は、きらきらと光っていた。その光の波に埋もれるように、小さく光る赤い電気浮きを、雅之は眼で追い続けた。堤防にぶつかる波のほかに音はなく、しずかな夜だった。
餌を数回ほど付け替えたころ、伸介が口をひらいた。
「雅ちゃん、今年から高校か、Y高に行ってるんだって。頭いいんだな」雅之は、電気浮きから眼を離さずに、伸介に聞いた。
「伸ちゃん、いま何やってるの?」
「おれさぁ、定時制やめてからしばらく働いたん、結局、別の定時制に通ってるんだ。今年から四年で、順調なら来年卒業の予定。雅ちゃんとは学年で七つ違うのに、三つ違いになっちゃったな。二十三にもなって、まだ高校に通ってるんじゃなぁ・・・」
そういうと、伸介は自嘲気味に低い声で笑った。
「でも、先のことは、わかんないよ」
「そりゃあ、生きていればいいこともあるって、人はいうけど、それって、幸せな人間が、不幸せな人間に言う慰めみたいな感じがしてさ、どうも・・・」
話が途中で切れたので、ふと見ると、伸介の竿が大きくしなっていた。リールが唸り声上げて、素早く回転していた。雅之は黒い海を見つめ、魚が姿を現すのを、じっと待った。やがて、一尺を超える黒鯛が、堤防近くの水面に浮かび上がってきた。
黒鯛を見るのは、雅之にとって初めてだったが、それは月光に照らされ、銀色に輝いていた。獲物を釣り上げ、クーラーボックスに入れたあと、伸介は雅之のほうを向いてから口をひらいた。
「やっぱ、雅ちゃんの言うとおりかもね。おれみたいに才能もなくて、努力の出来ない人間でも、先のことは分かんないね。こういうこともあるしさ」
そう言って、伸介はにんまりと笑ったが、雅之は笑いもせずに言った。
「才能がないとか、努力できないとか言ったけど、才能があっても、努力できても、悪い人間じゃ幸せになれないよ。伸ちゃんみたいに、いい人間のほうが、しあわせになれるに決まってるよ」
伸介はクーラーボックスの前に、背中を丸めてしゃがんだまま、黙っていた。見ると、餌を付け替えていた手が、止まっていた。
そのあと、会話もそこそこに、ふたりは釣りに熱中していった。気づくと、山の稜線から、空が白みはじめていた。伸介は、黒鯛を三匹、雅之は、一匹釣りあげていた。
帰り道、海岸線を歩いていると、砂浜に一本の灌木が生えていた。ハマナスだった。枝葉を四方に広げているその中に、季節外れに咲いた赤い花がひとつだけ、朝日に照らされ、輝いていた。