今月の一枚  


           山本周五郎




             


    こんなエピソードがある。

    尋常小学校の時のこと、国語の宿題に作文が課さ

    れた。周五郎が書いた作文が大そう良くできていた

    ので、先生が読んで聞かせると、作文に出てきた級

    友は、それは嘘だ、おれは三十五(周五郎の本名)

    と遊んでなんかいない」と言って、教室中が騒然とし

   た。そのとき、担任は周五郎に向かってこう言った。

    「こうも見事に嘘が書けるのは素晴らしい。お前は

    小説家になれ」、と。

    反骨心の強い作家である。直木賞に推薦されて、

    受賞を辞退した唯一の作家であり、以来すべての賞

    を辞退している。
 
    小説に登場する人物は、辛酸を嘗め尽くし、志半ば

    で力尽きてしまうものが少なくないが、登場人物に、

    生きる上でのヒントとなる、含蓄のある台詞を吐かせ

    る、というのが作風であり、その台詞に惹きつけられ

    てしまった時点で、すでに周五郎のファンになってい

    る。

    作家でありながら、同じ作家仲間とは一切付き合わ

    ず、ある小説家からは曲者と呼ばれた。小説は、離

    れに古屋を借り、夜はもっぱら編集者を相手に飲み

    明かすのを常としていた。原稿料も大半は飲み代に

    消え、妻の家計のやりくりが大変だったという。

    死後に、陳列される文庫本の数が急激に減っていく

    作家が多い中で、周五郎の膨大な作品は、まったく

    減っていない。