今月の一枚


            向田邦子




              


    人気シナリオライターであり、小説家でもあった彼女

    の物語は、ごく普通の家族の人間関係を深く掘り下げ、

    こまやかに描いている。

    「父の詫び状」という随筆が好きである。頑固で口うる

    さい父親、家では威張ってとっつきにくい父親、そんな

    父親のことを、反発しながらも可笑しく書いている。この

    本を読んでみると、彼女はそんな父親のことを、実は好

    きなんだなということがわかってくる。

   もちろん、好意的な表現などは何一つないのだが、そう匂

    わせる空気が、行間にさりげなく漂ってくるのである。

    物語そのものを面白おかしく展開する本は、二度と開くこ

    とはないのだが、彼女の本は、描写を読み返したくて、ま

    た手に取って味わいたくなってしまう魅力がある。

    気が強いというか、お茶目な面もある。彼女が妹と映画

    を観ていたときのこと。前に座っているカップルが、べちゃ

    べちゃとうるさく話していた。頭にきた彼女は、男の後ろ

    についているフードに余った板ポップコーンをすべて流し込

    んだあと、澄まし顔で「さっ、行きましょ」と言って、さっそうと

    立上がっていったという。

    飛行機を怖がるくせに、旅行が大好きだった彼女だが、

    旅行先飛行機墜落事故で、51歳の生涯を閉じた。生前

    どんなに人気があっても、死後忘れられていく作家が多い

    中、彼女の場合、生前も人気があり、死後も評価が高まっ

    ている、数少ない作家である。