東京オリンピック・マラソン銅メダリストの円谷幸吉
は、椎間板ヘルニアとアキレス腱の手術をしたが、
回復は遅かった。メキシコオリンピックまで1年をきっ
ていたが、多くの国民が、円谷に期待していた。
そんな中、円谷には結婚を誓い合った女性がいた。
だが監督は、「メキシコオリンピックが終わるまで、
結婚はおろか付き合いも禁止」という厳しい条件を
円谷に課した。
昭和43年1月9日、自衛隊体育学校の宿舎で、円谷
幸吉が、カミソリで頚動脈を切って死亡しているのを、
自衛官が発見した。享年27歳だった。
以下は、その遺書である。
父上様母上様、三日とろろ美味しうございました。
干し柿、もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様、おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様、ブドウ酒、リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様、しそめし、南蛮づけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様、ブドウ酒美味しうございました。
…中略・・・
父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしま
って走れません。何卒お許し下さい。気が休まる事も
なく、御苦労、御心配をおかけ致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。
川端康成は、「美しくて、まことで、かなしいひびきだ」
と語り「千万言も尽くせぬ哀切」と評した。三島由紀夫は、
ノイローゼや力不足が原因とする憶測に対して、「この
崇高な死をノイローゼなどという言葉で片付けたり、敗北
と規定したりする、生きている人間の思い上がりの醜さ
は許しがたい」と強い調子で批判した。