森のお医者さん


     山をあるく(4)



         

森のしくみを知る 

 森の仕組みを知ることは、人間社会を知るうえで参考になる。山菜で人気のタラの木は陽樹といって十分な光を浴びないと、生きていくことはできない。だから、森の中には住めないし、種子が風や鳥任せにしてたどり着く場所は、荒れ地や伐採地でなければならない。 光が十分あると判断すれば早々に芽をだし、他の樹木に先を越されないようにと、基本となるべき根の生長をおろそかにしても、背丈を伸ばすことを優先する。さらに、枝葉を傘のように開き、周囲に樹木が育たないように光を独占しようとする。

 だが、そんなせっかちな生き方では、長く生きることはできない。急いで成長した分、幹の材質も安上がりでもろいし、根が十分張っていないから高木にもなれない。

 そのうち、根元近くにリスやカケスがドングリを埋めたまま忘れていたりする。ドングリ(ナラ)が芽をだすと、光が少なくても生きていけるナラは、タラの木の根元に身をひそめて、何年でもじっと待っている。

                  

 やがてタラの木が枯死すると、足元に控えていたナラはすくすくと育ちはじめる。高木になり、光の当たらなくなったナラの足元には、さらに光が少なくても生きていけるブナの稚樹が育ち始める。

 何百年かたってみると、ブナが高木となって森の主役となって森を形成することになる。ブナの下には大きな空間ができ、その空間をめぐって、ブナの高さと競合しない程度の高さのマンサクやナツツバキなどの樹木で埋まってくる。そして最下層には、ユキツバキやユズリハなどが侵入してくる。

 最下層の樹木は、光の条件が悪いから、雪が消えて同時に活動できるよう、つまり高木が新葉を広げないうちから光合成ができるように、落葉しない常緑樹という形をとる。常緑の葉は厚いから初期投資はかかるが、二年間使えるので何とかコストを回収できる。

 もちろん、落葉する低木でも生きていくことはできる。葉っぱをできるだけ薄く広くして、葉が重ならないようにすることで、低コストで弱い光を集めることができる。強烈な光を浴びば、干からびてしまうが、それは高木層が守ってくれるから安心だ。

                

 ブナを頂点としたピラミッド社会が出来上がると、森は安定してくる。環境が安定することによって、それぞれの環境に適した多種多様な樹木や山野草が現れてくる。頂点に立つブナといえども、安心しているわけにはいかない。毎年同じだけの量の実を落とせば、それに見合うだけの虫や、ネズミ、クマが現れ、きれいに食べつくされてしまう。だから、体力をためて数年に一度、どっさりと実を落とす。そうすれば、実が余ってしまい、それが次世代を担うことになる。
 林の中に入り込んだ笹やぶも難敵である。笹は枯れないから、藪の中に実を落としても発芽することはできない。それでもチャンスはある。笹は七十年に一度いっせいに花が咲枯れてしまう。笹だって、遺伝子を変えて世代交代を図らないと環境の変化についていなくなるからだ。
 そこに、ブナのチャンスが巡ってくる。ブナの寿命は四百年ほどだから、数年に一度大量に実を落としていけば、笹やぶが消えてしまう年と大量の実を落とす年が、ブナの生涯で一度か二度起こることになる。そうやって、ブナを頂点とする森は維持され、多くの植物が定して共存していくことができる。
 共存とは、みんなが同じ環境を分け合うことではないし、みんなが同じ権利を主張することでもない。今の人間社会では、そのために争い事が絶えない。人間も樹木も、それぞれ
 個性や能力の違いがあるはずである。それぞれの能力に応じて棲み分けがきちんとでき社会が、一番安定しているはずだ。安定した社会とは、みんなが同じものを目指したり、同じものを所有することでもない。
 たとえば、森の最下層に生きるユキツバキは、ブナを羨むだろうか?ユキツバキは、ブナの生き方を真似ようとはしない。それでも、きれいな赤い花を咲かせるし、次の世代を残す術も備えている。つまり、分相応に生きている。
 分相応というと、反発する人もいるかもしれないが、これは今の身分や境遇で我慢しなさというのではなく、自分にふさわしい生き方をするということである。
 高い目標をもって生きるというのは、大事なことであるが、肝心なのは、自分自身を知らないまま、高い目標に向かっていくと、誤った道に進んでいく可能性があるということだ。
  たとえば、多くの人間がお金持ちになりたいと思っているが、お金の正しい使い方や価値を知らない人間が大金を持ってしまうと、間違いなく不幸になる。有名人になりたいと思っていても、それに値するだけの実力がないまま有名になってしまうと、その後の人生は不幸である。
 樹木は、自分に合った生き方をするだけである。芽が出たその場所から、一生身動きもできないまま、生きていかねばならない。同じ仲間が、近くで日の十分に当たる恵まれた
 環境にいたとしても、自分は日の当たらない環境で生きていかなければならないこともある。環境が恵まれていなければ、幹をできるだけ曲げて成長し、少しでも多く日が当たるように精一杯の努力はする。しかし、体を傾けすぎて、雪に潰されたり、風で倒されるほどの茶はしない知恵をもっている。
 山を歩くと、同じ種の樹木でも、それぞれ違った姿をしていることに気づく。それは、一歩も動けない樹木が、長年歩んできた生き方を示している。思わぬ事故で枝や幹が折れたり、長年大木の下で耐え忍んで来たり、途中で思わぬ強敵が出現したりする。
 樹木の姿は嘘をつくことなく、さまざまな出来事を体に残していく。その姿を見れば、樹木が歩んできた歴史に思いをはせる。