森のお医者さん

   

       卒業



  三年前の春、ある少女の姿が、眼に留まった。少女のセーラー服は、まだ体の曲線に馴染んでなく、袖口やスカートの裾がすこし長いあたりが、新入生らしい初々しさを物語っていた。
 よく見ると、中学に入ったばかりの、同じようにぎこちない恰好をした新入生たちが、三々五々かたまって歩いていた。
 少女は、ひとりで歩いていた。不自由な両脚を交差するようにして、身体を左右に振りながら、ゆっくりと歩いていた。歩く速さは、三歳の幼児より遅いくらいだった。
 首をすこし傾げて、すこしはにかむような笑顔をしていた。その笑顔は、何か楽しいからではなく、それが普段の表情らしかった。
 誰も少女のことを気に留めるものはなく、次々と追い越していった。少女を追い越すとき、挨拶をしてくれる生徒は、ひとりもいなかった。その少女の姿を、通勤途中の車の中から、いつも視線で追っていた。少女は、脳性マヒを患っていた。
 桜の花が散り始めるころから、新入生の中に、部活動に入るものが増えていた。大きなスポーツバッグを肩に背負ったり、腕にぶら下げて歩く生徒が目立っていた。しかし、体のな彼女は、青いリュックをひとつ背負うのがやっとで、スポーツバックを持って歩くことなどできなかった。
 二年生になると、女子学生の中には、スカートの裾を短くした姿が、目立つようになった。前髪には髪留めをつけたり、バッグには小さなぬいぐるみをぶら下げていた。横に並んで道幅を占領し、おしゃべりしながら歩く女の子たちや、友だちと一緒に行くのはもうやめて、つまらなそうにして歩いている女の子の姿もあった。
 少女はというと、相変わらずスカートの丈はすこし長めで、髪留めもなく、リュックにぬいぐるみもぶら下がってはいなかった。入学したころのように、いつもひとりで、規則正しく、ゆっくりと歩いていた。
 三年生になったころ、付き合い始めた男女生徒が、手をつないで少女の前を通り過ぎるうになった。相手の女の子は、前髪を長く垂らして、シャツのボタンを二つはずし、うれしそうに男の顔を覗いていた。
 少女は、通り過ぎる若いカップルを気にすることなく、視線を足元に置いたまま、身体を左右に振り、両脚を交差しながら歩いていた。
 その冬は、雪が多かった。ある日、少女が歩道で倒れていた。雪で滑って足を捕られたようだった。後ろから来た女子生徒が、少女に気づいて、前で立ち止まっていた。
 少女が自力で何とか立ち上がろうとするのを見ると、黙って通り過ぎていった。少女はスカートに付いた雪を払うことなく、再びゆっくりと立ち上がると、痛めた足を引きずりながら、いつもよりゆっくりと歩きはじめた。
 三月のある日、登校する生徒が全員、手ぶらで歩いていた。その日が、少女の卒業式だった。少女は、もうリュックは背負ってはいなかった。いつもどおり、ひとりで歩いていたが、表情はいつもより、晴れやかにみえた。
 次の日から、少女の姿を眼にすることは、もうなくなった。三年間、窓越しから少女を見て
ただけで、一度も眼を交わすことはなかったけれど・・・卒業、おめでとう。