森のお医者さん


                              甘い牛乳


 
 これは、本人から聞いた話である。一緒に酒を飲んでいたとき、学生時代、どんなスポーツをしていたか、という話になった。さらに、大会で負けて悔しくて泣いたことがあるか、ということになり、お互いにあると言ったあと、彼の話を聞くことになった。
 彼は、リトルリーグでピッチャーをしていた。甲子園を目指していて、その先のプロ野球選手を夢見ていた。
 それだけの才能があると信じていたし、夢をかなえるために必要な努力と犠牲を惜しまない覚悟があった。事実、中学を卒業するときには、県外の私立の強豪校から、勧誘を受けていた。
 だが、彼には、地元の公立高校から甲子園に出場しなければならない、理由があった。神戸の震災で、家族は家を失い、借金だけが残り、母親の実家近くに身を寄せていた。甲子園云々というよりも先に、彼には生活費を稼がなければならない現実があった。
 毎朝、3時に起き、自転車に乗って新聞配達をした。そして、部活が終わって家に帰るころには、とっぷりと日が暮れていた。
 高校三年の最後の夏、彼の高校は県大会のベスト8で敗れた。その夜、彼は食事もとらずに、布団の中で一晩中泣いた。それでも、翌朝はいつものように、3時に起き、自転車を漕いで新聞を配らなければならなかった。
 半分ほど配り終わった頃、彼は喉に渇きを感じていた。ただの渇きなら、家に帰るまで我慢しようと思ったが、その渇きは、ひどくなるばかりだった。
 自転車から降りて、新聞を届けようとある家の玄関に向かって走っていくと、玄関先に、おじいさんが立っていた。はじめてみる人だった。
 「すみません、コップに水を一杯いただけませんか」。おじいさんは、自分よりはるかに背の高い、いがぐり頭の少年の言葉に、すこし驚いた様子だった。まもなく、大きめのコップに水がなみなみと運ばれてきた。
 すこしカルキ臭のする生ぬるい水道水だったが、彼はそれを一気に飲み干した。ひとつ深呼吸をしてから、ようやく気分が落ち着いた気がした。
 空になったコップを渡そうとしたとき、おじいさんは、そのコップではなく、彼が差し出した腕を見ていた。その腕は、朝日に照らされ、真っ黒に光っていた。彼は、短く礼を言ってコップを返してから、踵を返した。
 翌朝、彼がその家の玄関に新聞を差しこもうとした時、小さな木箱に目が留まった。黄色いペンキの剥かかった、牛乳ビン受けだった。今までその存在に気付くことはなかった。目が留まったのは、その箱に一枚の紙が貼られていたからだった。その紙には、こう書いていた。
(新聞配達の人へ 今日からこの箱には、牛乳が一本、余分に入っています。飲んでいってください)
 見ると、箱には牛乳が三本入っていた。彼はそっと一本取り出し、紫色の薄いビニールを剥がし、丸い紙蓋を引っ張った。口に含むと、冷たい感触が口いっぱいに広がった。今までに飲んだ、どの牛乳よりも、甘かった。
 それから高校を卒業するまでの毎朝、彼はペンキの剥げかかった木箱から、牛乳びんを一本取り出して飲むことになった。
 高校卒業後、彼は大学に進学して野球を続けたが、肩を壊し、主治医から野球は諦めて新しい道を探すようにと宣告された。
 彼は、甲子園には行けなかったし、プロ野球選手にもなれなかった。けれど、牛乳を毎日届けてくれたおじいさんとは、今でも交流を続けていると語ってくれた。