森のお医者さん

         グレゴリー ペック





                                   



     ハリウッドを代表する名優である。

    洋画のモノクロで5本上げろと言われたら、そのうちの

    一本に彼の主演した「アラバマ物語」をあげたい。彼は、

    数多くの映画やドラマに主演したが、生涯で自分を代表

    する映画を一本選ぶとしたら、このアラバマ物語だと生前

    コメントしている。

    学生時代は、ボートの選手でオリンピックを目指していた

    が、第二次大戦でオリンピックが中止になり、夢はかなわ

    なかった。当初は医学部に在籍していたが、演劇に興味

    をおぼえ、卒業後は俳優養成所に進む。

    「ローマの休日」を撮り終え、フランスで休暇を取ってい

    ころ、映画の撮影中、ある新聞社から取材を受けていた。

    そのとき担当していた女性記者が魅力的だったため、一

    度食事に誘いたいと思い、その新聞社に電話した。彼は

    そのころヨーロッパでも有名人だった。

    当時は、電話の数が限られていたため、その女性記者に

    社内で呼び出しがかかった。「○○さん、グレゴリーペック

    さんからお電話です」と、そのアナウンスが流れると、騒々

    しい社内から、タイプライターの音がいっせいに止んだとい

    う。静まり返った電話の向こうから、彼女の声が聞こえ、

    「一緒に食事行きませんか」と誘うと、予想に反して、沈黙

    が流れた。しばらくして、「わかりました」と返事をもらった。

    当日、彼は彼女に、あの時すぐに返事をもらえなかったの

    は、恋人と約束でもあったのかと聞くと、恋人ではなく、他の

    人と食事の約束をしていたと言った。自惚れもあったのだろ

    うが、どんな相手か知りたくなって、聞いたところ、アルベルト

    シュバイツァーだと答えた。シュバイツァーとは、医学者でもあ

    り、神学者でもあり、作家でもあり、音楽家でもあり、アフリカの

    奥地で医療に一生を捧げ、ノーベル平和賞を受賞した人物で

    ある。彼女がグレゴリーの誘いに戸惑った理由も十分わかる

    が、シュバイツァーほどの人物からの約束を反故にするほど、

    グレゴリーが魅力的だったということか。