森のお医者さん

                          肉体と精神


 
 今回のエッセイは、三千年前に一度だけ地球上に人間として生きた高級霊が、五十年にわたってイギリスのジャーナリストに宿り、霊媒である彼の口を通して語られた霊訓のほんの一部を、わたしが脚色してまとめたものです。

    精神と肉体
 
 精神的健康と肉体的健康、いずれも大事であるというのが一般的ですが、結論から言うと、精神的健康なくして肉体的健康はありえません。つまり、精神が肉体より明らかに上であり、精神の異常があらゆる病の元となりうるのです。精神の異常というと語弊があるかもしれませんが、精神のアンバランスから生じるストレスと言ってもいいかもしれません。
 成人病と言われる生活習慣病は、生活の乱れが原因と言われていますが、生活の乱れを引き起こすのは、ストレスです。
 ガンについても、煙草や飲酒など外的な要因がいくつも取り上げられていますが、本来精神的に健康であれば、そのようなものに手を出す必要もありません。すべては、ストレスから逃れるための手段として使用され、結果として過ぎてしまうのです。 
 ストレスは、身体の弱い部分を攻撃し、その場所は人によってそれぞれ違ってきます。筋肉なら頭痛や腰痛を引き起こし、血管なら高血圧や心筋梗塞、内臓であれば胃潰瘍や便秘、脳が攻撃されればうつになったりします。ガンであってもストレスが細胞の活力を弱めるから 、ガン細胞の増殖を許してしまいます。
 つまり、病気を治すのは自分自身の中に宿っている治癒力であり、精神が健康な状態に戻らなければならないということになります。玄米や野菜中心の質素な食生活がいいなどと言われていますが、食事だけを変えても意味はありません。精神を含めたうえで、ライフスタイルそのものが変わっていかなければならないのです。だからと言って、病気になって悲観する必要もありません。
 見方を変えれば、病気になることで、今までの生き方を見直し、その後の人生を有意義に変えるチャンスにもなりうるのです。
 もっと言わせてもらえば、霊が健康なら、精神も肉体も健康ということになります。私たち人間は、霊が実在であり、肉体はこの世で一時的に利用されている道具に過ぎません。
 死とは、霊が肉体から離れることを意味します。霊が抜け落ちた肉体は朽ち果てますが、霊そのものは永遠に存在し、自らの向上を求めていずれこの世に生まれ変わります。
 精神は、脳の細胞から生み出されるものではなく、霊が脳を通して働きかけた自己表現なのです。そもそも、細胞から感情が生まれるなんて、おかしいと思いませんか?肉体は 大事に使えば、長持ちしますが、乱暴に扱えば、壊れてしまいます。そして、その肉体を使用するのは、精神であり、精神は霊の状態を表しています。
 ここで一つの疑問が湧いてくるかもしれません。生まれつき障害を持って生まれてくる子供はどうなのか、と。どうなのか、と。その疑問は、この世の物差しで測るから、ために生じるのです。
 この世が全てと思っていると、障害を持って生まれるのは単なる不幸ということになります。なぜ自分だけが、自分の子供だけが、という悲しみから逃れることができなくなります。
 障害というのは、霊としての自分が、自分に足りないものを克服し、成長させるために、この世に生まれる前にあえて自らが選んだ試練なのです。その子供も親も、障害を経験して障害を乗り越えることで進化できます。この世の限られた時間だけで、運、不運を推し量ってはいけません。命は永遠なのですから。
 この世ですべきことを果たした後は、早めに霊の世界に戻る人もいます。ただ長生きをすればいいというわけではありません。大事なことは、いかに生きたかということです。言葉ではなく、どう行動したかが大事なのです。  すべての行為には、それに見合った賞罰が伴います。物事の結果には、すべて理由が存在します。その因果関係というのは、私たちが考えるような単純なものではありません。
 私たちの考える裏の裏、さらにその裏にも数知れない因果関係が存在しています。それが知らないうちに幸運や不幸として現われることもあるし、この世に生きているうちに現われないこともあります。
 私たちが知らない、いわゆる神の摂理、あるいは自然法則ともいうべきものが、この世の隅々まで1ミリの誤差もなく正確に働いているのです。私たちは、その摂理から決して逃れることはできません。
 神とは私たちのように感情を持った存在ではなく、すべてを創造する巨大なエネルギーを持った自然法則のようなものです。こんな科学的な裏付けもない説明では話にならない、と思う人もいるかもしれません。ですが、これらの真理は、私たちが考える科学などというレベルで説明できるものではありません。
 なぜ生きるのか、この命題に対して多くの先人が様々述べています。この命題を一言で説明すれば、霊の進化のためということになります。
 自らを進化させたいという要求が、生きづらいこの世に生まれ落ちて修業するのです。その人に見合った環境を、自ら選んで生まれてきます。ですから、何の苦労もない人生に終わってしまえば、この世で生まれた意味はなかった、ということになります。
 ただ、私たちはこの世に生まれ落ちると同時に、その霊の記憶は失われてしまいます。もし記憶が残ったまま生まれてしまえば、回答が最初からわかってしまい、修業する意味がなくなってしまいます。
 霊の進化に必要なものは、私たち自らが努力して探して、習得しなければならないのです。それに必要な苦労(チャンス)は、かならず人生で出会うようになっています。なぜなら、その苦労はこの世に生まれる前から、自ら選択しているからです。
 ですから、健康に生きるというのは、とても大事なことなのです。健康に生きるということは、よりよく生きるということであり、その後の霊の進化につながるからです。
 それでは、どう生きればよいのかということになりますが、偉人たちが書いた本などいくら読んだところで意味はありません。なぜなら、理想の生き方は、それぞれの霊の進化の状態によって違うからです。
 言葉の理解だけでは、霊を進化させることはできません。自らの体験によって身につけなければならないのです。
 それは一旦身についてしまえば、もう消え去ることもない、誰からも奪うことのできない宝物となります。
 それでも、もし生きる上でよりどころになるものを教えてほしいと言うのなら、それは、私たち誰もが持っている良心です。良心は、誰もが持っている言わば原石のようなものです。
 放置すればただの石ころにすぎませんが、磨けばダイヤモンドのような輝きを放ち、私たちの進化を助けてくれるのです。