森のお医者さん

                               ワイングラス


 
 整形外科医として初めて研修した病院は、長岡にある総合病院だった。現在のような整った研修制度とは違い、当時は赴任早々いきなり外来を担当することになっていた。今思えば、まったくもって迷惑をかけっぱなしの外来診療だった。
 慣れない当初は、一人ひとりの患者さんに時間を取りすぎてしまい、午前診療が午後二時を回ることがしばしばだった。脇に立っているベテランの看護婦のため息をつくような表情に気づくほどの余裕もなく、無駄な問診や意味のない説明を繰り返していた。
 そうかと思えば、機械で手を切断した女性を担当したときは、外来で延々と術後の痛みを訴えられても、ただ黙って聞くしか術をもたなかった。
 外来手術の予定表に、はじめて術者として自分の名前を見つけたときはうれしかった。あいにくその日は、外来担当の日だった。
 手術時間までに外来を終えないと術者が変更になるため、気合が入った。手術時間ぎりぎりに診療を終え、昼飯も取らずにそのまま手術室へ駆け込んだ。
 手洗いが終わって、患者さんに滅菌シーツを掛けていたときだった。助手として入ってくれた年配の先生が、突然そのシーツを勢いよく剥ぎ取り、シーツの掛け方が悪いと怒鳴られた。おそらく、わたし以上に患者さんのほうがビビったに違いなかった。その手術を担当できたか、メスを取られたのかは、憶えていない。
 病棟回診も、迷惑をかけた。午前十時から回診があり、二時間弱で終わるはずの回診が、最初の頃は午後一時まで延びてしまい、患者さんは、昼ごはんを食べずに待たなければならなかった。
  それでも、どの患者さんも新米の研修医に不平も言わず、拙い回診に病棟は冷房もなく、夏は暑かった。ときおり生ぬるい風が窓から流れ込んできたが、患者さんはうちわを扇いで涼をとり、汗かきのわたしは、ハンカチで汗をぬぐいながら病室を回っていた。
 病院には、付属の看護学校があり、なぜか整形の授業は新米の研修医が受け持つことになっていた。そのうち、講義を聞いてうたた寝する看護学生が何人か出てきた。面白みのない研修医の講義を考えると当然なのだが、うたた寝しないように、授業中に順番に質問して意地悪をしたこともあった。
 看護学校の講義も終了し、その病院を去る頃になって、わたしは上司の先生に近々結婚すること、ただし披露宴はごく身内で済ませるので、出席は不要である旨を伝え、あとは誰にも伝えなかった。それから間もなく、看護学校の生徒から、呼び出しを受けた。
 行ってみると、彼女は一人で来ていて、結婚すると聞いたのでお祝いの品を受け取ってほしいと言われた。その表情からして、もしかして、わたしに好意を寄せてくれていたのかと思った。
 こういうとき、映画の主人公なら、心に残るようなセリフを言うのだろうが、「どうも
ありがとう」と素っ気ない返事しかできなかった。それは、青と赤のペアのワイングラスだった。後で知ったが、チェコのボヘミアグラスだった。お礼の返事を書くこともなく、学生の名前はもう忘れてしまったが、ワイングラスは引っ越しの度についてきた。
 今年、実家の蔵を改修して、蔵シネマとワインの会と称して、知り合いを何回か招待したのだが、そのワイングラスを三十年ぶりに使うことになった。古い蔵の雰囲気にピッタリのワイングラスだった。
 そのワイングラスのひとつが、片付ける際に盆から落としてしまい、壊れた。残った片方のワイングラスは、ふたたび蔵の古びた食器棚へと仕舞われることになった。
 もっと慎重に扱うべきだったと、あの学生に十分なお礼ができなかったことへの後ろめたさも加わり、余計に後悔した。それでもワイングラスが一つ残っていることに感謝し、また使いたいと思う。だが、頻繁にではなく、ごくたまに、それも慎重に、かつ丁寧に扱いたいと思う。