森のお医者さん


    守護霊って何?



 「霊」というと、なにか薄気味悪いもの、あるいは胡散臭いものを想像する人がいるかもしれません。それでも、何となく存在すると思うけど、自分で見たわけじゃないから確信は持てない、という人も少なからずいると思います。この話は、そういう人に向けたお話です。
 ある古代霊の霊訓をもとに、脚色して書いてあります。
 あの世に比べたら、この世はとても生きづらい世界です。困難が多くて、思うようにならないことばかりです。でも、そんな世界に生れ落ちるとき、ひとりぼっちで送り出されているわけではありません。地上に生まれてからあの世に戻るまで、ずっと守り導いてくれる人がいます。それが、守護霊です。
 わたしたちは、孤独感を抱くことがしばしばあります。でも、わたしたちは決して一人ではありません。この世に生まれると同時に、あなた一人のためだけの専属の霊的教師が、 わたしたちが眠りについている時も、あの世に戻るまで一瞬の休みもなく見守ってくれているのです。そういう霊がいつも背後にいてくれることがわかれば、とても勇気づけられるはずです。
 守護霊は、知識と経験の上では、必ず自分よりも上の霊が付くことになっています。血縁関係のある霊が付いてくれることもあれば、血縁関係がなくともその人にふさわしい霊が応援してくれることもあります。
 わたしたちは、肉体に宿ることによって、守護霊とは言語による通信はできませんが、直感としてある考えが浮かぶように脳裏に吹き込んだり、わたしたちの悩みを解決してくれそうな人のところへ案内してくれます。ただ残念なことに、そのことを私たちは直接知ることはできません。
 そもそもなぜ、守護霊はついてくれるのでしょうか?それは、わたしたちが地上に再生するのは、自らの魂を成長させるためです。あの世では、財産はもちろんのこと、地上での名声や業績はまったく意味を持ちません。霊格のみが大事なのです。
 霊格とは、地上で言えば人格のようなものです。地上ではよい人間と悪い人間を区別したりしますが、霊には悪い霊とか良い霊とかいいうものはありません。ただ、未熟か成熟しているかの違いだけです。
 例えば、愛する恋人が別な人を好きになったとします。それを知って、憎らしいと思えば、それはまだその人は未熟なだけです。
 もし自分よりしあわせにできる人であれば祝福し、不幸せになりそうであれば心配してあげる霊が成熟しているのです。
 霊格なんてどうでもいい、好きなことさえしていればという人は、あの世に戻ってから必ず後悔することになります。なぜなら、霊格の低いものは、低いもの同士の世界で生きねばならず、それはつらい経験です。やがてそういう霊も、自分も向上して上の世界で生きたいと思うようになります。
 霊格をあげるには、成長にふさわしい困難を経験することがどうしても必要になります。知識の詰め込みではだめなのです。
 困難とは、木に例えると、根っこのようなものです。根っこは目に見えませんが、このお陰で養分を蓄えることができ、結果として大きく成長することができます。
 その困難は、実は自ら望んだことなのですが、地上に生まれると同時に、記憶が消されてしまいます。そうでなければ、本当の意味での修業にはならないからです。
 守護霊は、わたしたちが選択した試練の内容についても熟知しています。その困難を用意し、克服を導いてくれる人が、守護霊の役目です。私たちの魂の成長を願って、見守ってくれる霊が常に自分の背後にいてくれることがわかれば、孤独感を持つ必要などまったくありません。
 ただ、守護霊の存在を信じていない人には、せっかくの守護霊の献身的行為も一方的なものに終わってしまいます。守護霊とは、意識の上でつながっており、意識して感謝することで、助言をインスピレーションとして受け取ったり、自分が思いもしないような大きなエネルギーを発揮することができるのです。
 世の中で活躍している人や、裕福に暮らしている人を見て、自分の生れもった能力や生まれ落ちた環境を嘆く人がいるかもしれません。ですが、人間は、そもそも不平等なものです。すべてが平等であるはずだと主張するのは、真理を知らない理想主義者の言い分で
す。
 この世には、さまざまな霊格の霊魂がいるわけですから、能力に違いがあるのは当然ですし、それぞれの霊格を成長させるために、それにふさわしい環境を求めて自ら選択するのです。平等なのは、この世に生まれたからには、誰にでも成長するチャンスが与えられている、という点です。
 いくら努力しても上手くいかない、自分の人生は失敗ばかりだといって、悲観する必要もまったくありません。大事なことは、成功したかどうかではなく、何を経験したかです。もし、日向を歩むだけの愉しい人生であれば、それは失敗の人生だったということになります。
 なぜなら、わたしたちは愉しく生きるために生まれているのではありません。この世で、失敗を通して学ぶために生きているからです。
 あの世に帰ったとき、評価されるのは、行為そのものであって、成功したかどうかの結果は問題ではありません。すこしの努力で大きな成果を得た人と、多くの努力で小さな成果しか得られなかった人では、後者の方が評価されるのです。お互い同じように精一杯努力したのであれば、結果に関係なく同じ評価が得られるのです。
 勘違いしていけないのは、その困難が解決するのを支援することはできても、守護霊が代わって解決してあげることはできないのです。解決は、自らの手でしなければなりません。守護霊は、努力する人間に対してのみ応援をするのです。 
 邪悪なことを考えていると、邪悪な低級霊がすぐに割り込んできて、守護霊とのつながりを遠ざけてしまいます。守護霊は、自ら呼び込んだ低級霊は追い払うことができません。
 守護霊からの支援を得るには、わたしたち自身の志が重要なのです。
 どんな守護霊がついているか、知りたくなることもあるでしょう。ですが、わたしたちの誰にでも一人の「守護霊」がいて、常に愛し、守り導いてくれているという事実を知るだけで十分です。
 自分の守護霊を知りたがる人にかぎって、最も肝心な努力を怠ってしまう傾向にあります。もし低俗な好奇心に合わせて軽々しく守護霊の身元を教えるような霊能者がいるとすれば、それは ニセモノと考えて間違いありません。
 この世を去るときには、守護霊は真っ先に迎えに来てくれます。その再会したとき「よく頑張ったね、おかえり」と言われるように、人生を全うしたいものです。