森のお医者さん


       仕事の輝き



 新聞の投稿に、ある若者のエッセイが載っていた。
 小学校の教師をしていた彼女は、ある日授業で児童にむかって、将来の夢は何ですか、今の自分は輝いていますか?と問いかけた。
 その時ふと、果たして自分自身はどうなのだろう?と考える。(今の自分は、輝いているのだろうか・・・)自問自答するうち、30歳を目前にして、彼女は教師の仕事を辞め、歌手になるために、毎日ボイストレーニングの学校に通っている、という内容だった。
 努力して一度手にしたものをすべて手放して、ちいさな可能性に賭けて新しい道に向かって突き進んでいくというのは、なかなかできることではない。
 努力が報われるという保証はどこにもないけれど、流した汗と涙は、彼女の人生にとって大きな糧になるだろうと思う。選者も、彼女の勇気ある決断に若者らしい気概を感じたに違いない。
 しかし、この文章を読んでいて、少なからず違和感を憶えた。ある有名なサッカー選手が現役生活に終止符を打ったとき、サッカー界に残ることはせず、自分探しの旅に出ると言って話題になったことがある。
自分のキャリアに胡坐をかかず、未知の世界に飛び込んでいくなんて、かっこいいと思った若者も多くいたかもしれない。
 自分が輝く世界はどこか他にもあるのではないか、投稿した若者も、それに近い感覚だったのかという気もする。
 自分が輝ける場所を求めて、仕事を選択するといのはもちろん悪くはないのだが、自分の好きな仕事に就いて熱中できれば輝くのかというと、そうとばかりは思えない。
 仕事で一番大事なことって何だろう?自分が輝くことよりも大事なもの、それは自分の仕事が、人の役に立っているかどうかだという気がする。キリスト教では愛、仏教では慈愛を説くが、恋愛の愛もあり、何となく抽象的でわかりにくい感じがする。
他の言葉で表すとすれば、人の役に立つことをしなさい、と言ってもいいのではないか。人はパンのみに生きるにあらず、というイエスの言葉がある。これは、仕事をするというのは、自分が生きるためではなく、人のために仕事をするのですよ、という意味に置き換えてもいいと思う。
 しかし、現実はそう上手くはいかないものである。つらいと思って仕事をしている人はたくさんいる、というよりおよそ大部分の人間は、生活のためにつらくても働いていると言っていいかもしれない。
それでも、自分の仕事がいくらかでも人の役に立っているという自覚が持てたなら、自分の仕事に誇りを持っていいと思う。好きでなくても、そういう気持ちを持って仕事を続けている人は、自分だけ輝こうとしている人よりも、輝いて見えるはずだ。
 意味もなくゲラゲラと笑っているテレビタレントより、家族のために働いている主婦や、道路を補修している工事現場で働いている人の方が、輝いていると思う。
笑いだって人の役に立つじゃないか、それはその通りなのだが、意味のないゲラゲラ笑いが、人の心を癒すだろうか?
 できることなら、面白くないと思いながら仕事をしてほしくない。そういう気持ちで仕事をしては、周囲だけでなく自分も不幸にしてしまう。つらいとか思ってもいいから、自分の仕事が誰かの役に立っていると思えるのなら、それで十分である。
仕事が終わったあとに、(おわったー)、と思えればそれでいいし、いくらかの充実感も得られるのであれば、なおいいではないか。