森のお医者さん

G教師



 高校時代、国語が苦手だった。追い打ちをかけるよ
うに、一年と三年の担当がG教師だった。そのG教師が嫌いだった。出来のいい生徒と悪い生徒を区別して、わたしは後者の方だったからである。出来の悪い生徒には質問に答えられないと嫌味な言葉で苛めたり、反面、自分のこととなると、得意げに話をして、ニヤニヤと笑って自分だけ受けていた。
 定期試験では、いつも平均点に足りず、赤点も取っていた。うまく答えられないと、人格を否定するようなことを言われたり、順番に質問をしてきて、自分のところだけ飛ばされたりした。当時陸上部のキャプテンだったが、きみはスパイクを履かないとダメなんだな、と言われたこともあった。
 反抗することもできず、他の生徒と同じように、下を向いて苦虫をつぶすしかなかったが、抵抗する生徒もいた。出席簿に授業の担当教師が自分の名前を記入するのだが、勇気ある二人が担当のG教師の名前を消した。目ざとくそれを発見したG教師は、プレッシャーをかけて自首させ、授業は中止にして、その二人を教務室に連れて行って一時間たっぷりと搾り上げた。そのひとりが、学年を代表する優等生だった。出来の悪い生徒ばかりが嫌っていたのではなかったことに、少し驚いた。
 勇気ある女子生徒たちもいた。筆箱に小銭をいっぱい入れて置き、一人が机から誤って落としたふりをして、ガチャーンと音を出し、数分後には別の場所からガチャーンと音を出し、また数分後にガチャーンと音を出した。G教師は、三回目のガチャーンを聞いて、(これがダメ押しってやつですか)と言うと、苦笑いを浮かべていた。
八年後、偶然G教師を見た。大学病院の研修中バスで通っていたのだが、そのバスの中に、脂汗をかいて苦しそうな表情をして吊り輪につかまっていた。具合が悪いのかと思った。だが、そうではなかった。汗は真夏の炎天下でバスを待っていたからで、苦しそうな表情は普段の表情であることがわかった。(ストレスが溜まってるんだな。もしかして、今では立場が逆転して、生徒に苛められているのか?)
 G教師がバスから降りると、自分も知らないうちに降りていた。後ろから小柄で丸まった背中に声をかけて、(相変わらず生徒を苛めて楽しんでるのか?)と問い詰めたい衝動に襲われた。
 偶然は重なるものである。それから、二十年以上たったある日のこと、何かの用で市内専用の電話帳をぺらぺらとめくっているとき、G教師の名前を見つけた。市内の地図帳で調べると、その家は確かにあった。自分のジョギングコースの近くだった。
見かけはごく平凡な家だった。だが、昼間にもかかわらず、雨戸が閉め切られていた。
 それから、ジョギングをするときに、ときおりその家の前を通ってみたが、いつ通っても雨戸が閉め切られていた。もう空き家なのかと思ったが、庭に所狭しと植えられている樹木は、いつもきれいに手入れされていた。人目を避けて家に閉じこもっているわけでもあるまいし、謎だった。
 しばらくして、ジョギングでその家を通った時のことだった。石垣の塀にGという名字のプレートが埋め込まれていたのだが、何者かによって掘り取られていた。プレート周囲の石は数か所が大きく欠けており、その犯行はハンマーと石ノミを使って急いで短時間に行われたことを意味していた。
 二、三週間ほどたって通ってみると、壊された表札の石垣の部分は、きれいに修復されていた。そこにはGの表札はなくなっていた。
そのとき、とっさに思った。(やっぱり住んでいるんだ。表札はわざとつけなかったんだ。学生時代にG教師に恨みを持った人間か・・・)
 相変わらず雨戸は締め切ったままで、庭木はいつも通りにきれいに手入れされていた。