森のお医者さん

   

     授業の脱線話


 何年も前に、高校生だった娘から聞いた話である。
 ある日の英語の授業中、語学の習得には音読が大事であるという話から、教師の話は脱線していった。その教師は、もの言いが上品な感じの女性で、すでに定年を過ぎ、非常勤講師として赴任していた。
 彼女の高校時代の恩師が、やはり同じ英語教師だった。彼女とその恩師との関係は、卒業後も途絶えることはなかった。その恩師が八十に手が届こうとしたときだった。
 恩師が病に罹り、入院しているという知らせが彼女に届いた。彼女が見舞いに行ったときには、すでに治療の手立ては残されていなかった。恩師がこの世を去って、まもなくしてからだった。彼女のもとに、あるエピソードが風の便りに届けられた。
 死んだ恩師にも、彼女同様、生涯の師ともいうべき英語教師がいた。その恩師はすでに九十を超えていたが健在だった。十歳しか離れていない年齢を考えると、おそらく彼女の恩師が出会ったのは、老恩師がまだ新米の教師だったころかもしれない。その老恩師が、教え子のいる病院を見舞いに行った。
 九十歳の老恩師が、八十歳の教え子を見舞うという光景は、そう滅多にあるものではない。おたがいに残り少なくなった人生を前にして、どのような会話がなされたのか、知る由もないが、風の便りというのは、ふたりの会話のある部分だった。
 ふと、会話が途切れたときだった。突然、教え子はベッドに横たわったまま、恩師に向かって英語で語りはじめたのである。   
  突然の出来事に戸惑った恩師だったが、どうやらそれは、自分に向かって話しかけられたものではなく、何かの朗読だった。恩師は、黙って教え子の朗読を聞いていた。やがて目を伏せると、朗読が終わるころには、はらはらと泣いていた。
 涙したのは、死を前にした教え子を憐れんだからではなかった。朗読が高校時代に恩師から習った、英語の教科書にある物語の一小節だったからだった。当時、恩師は常日頃、英語を音読する大切さを、繰り返し教えていた。そして教え子は、それを忠実に守り、恩師と同じ道を歩むことになった。
 それから半世紀以上も経っていたが、音読した英語は、教え子の頭の片隅にまだ記憶されていた。死を間近にした教え子は、高校時代に習った一小節を、記憶の隅から引き出して、感謝の言葉として、恩師に伝えたかったのであろう。
 受験に必要なテクニックを教えてくれる教師も有難いが、こんな物語を語って聞かせてくれる教師というのも、なかなかいいものである。