それぞれの花


 花が咲くというと、春、夏、秋というのが常識的なところである。その中に、冬に咲く花というのもある。ヤツデなどがいい例である。
 ヤツデといわれても、ピンとこないかもしれないが、庭先の日陰などに植えられる、天狗のウチワのような大きな葉っぱを持った木といえば、分かる人もいるだろう。
 冬に咲いても意味がないだろうと思うかもしれないが、冬の天気のいい日には、蚊のような小さな虫が羽化して飛び回っている。ヤツデは、その小さな虫を頼りに花を咲かせる。
 ヤツデの花は、11月を過ぎる頃になると、クリーム色をした、ピンポン玉のような花を咲かせるが、よく見ると、それは一つの花ではなく、米粒ほどの小さな花が集合して、ピンポン玉を作っていることがわかる。
 その小さな米粒の花に、冬に羽化した小さな虫が集まって、受粉を助けてくれる。
 花の咲き方はさまざまである。春には桜のような大木は、枝一面にびっしりと咲いて人々の目を惹きつけるし、ひまわりのように、夏の太陽光線を十分吸収して、鮮やかな黄色い大輪の花を咲かせて、自己主張する花もある。
 それに較べたら、ヤツデの花は誰にも知られることなく、ひっそりと咲いている。ヤツデは、大木にはなれず、どちらかというと、大木の陰の下で生きる木である。
 日陰で生きるということは、十分な太陽光線を受けることができず、したがって立派な花を咲かせることもできない。だが、立派な花だとか、立派でない
 花とかは、色や形で人間が勝手に決めているだけの話で、それぞれにとっては、立派な花である。
 木は十分に力がついてから、一年に一度だけ、花を咲かせて身を飾る。周りが華やかに咲いていても、自分に力がついていなければ、咲こうとしない。力をつけるべきときに、安っぽい花を咲かせても、充実した種はできないということを、彼らは承知している。
 花を咲かせる時期は、皆と同じである必要もないし、大きく目立てば良いというものでもない。自分の生き方に合った時期に、自分の力がついたときに花を咲かせれば良いのである。
 木は、種の落ちたその場所から、一歩も動くことができず、不平を言うことなく、与えられた環境の中で精一杯生きていく。
 同じ種類の木でありながら、運よく陽の光を十分に浴びれば、毎年大きな花をたくさん咲かせる木もあるだろうし、不運にも日陰で育ち、数年に一度しか小さな花を一つしか咲かせられない木もあるだろう。しかし、日陰で花を咲かすことができれば、それだけで十分立派な生き方である。
 花はそれぞれ、自分の花が一番と思って、誇りを持って咲いている。