順応


 昭和の時代、秋になると、道路沿いに沿ってススキの穂が風にたなびく風景がごく普通に見られたが、平成に入った頃から、ススキに代わり、セイタカアワダチソウ(以下略してアワダチソウ)が目立ち始めた。
 アワダチソウは、もともと北米原産で、人の背丈ほどに成長し、小さな黄色い花が泡のように湧き出るように咲く花である。
 日本に上陸してから、一気に勢力範囲を広げた。彼らの生育環境がススキと一致するために、し烈な勢力争いが起こったが、外国育ちのアワダチソウが圧倒的に強かった。根から毒を出し、他の植物を追い出していくらしい。
 一時は、市街地周辺は、黄色い巨人たちに占領され、日本の美しい秋の風景が消滅するのも、時間の問題かと思われた。どきつい黄色い花で、ススキとは違い、風にたなびくことのない屈強な茎を持ったアワダチソウを恨めしく思った。
 ところが、ここ最近は情勢が少し変わってきたように思う。アメリカでは、他の植物と競争するために必要だった根から出る毒が、毒をもたない純朴なススキを容易に追い出してしまった後、結局は自分たち自身を苦しめて、みずからを枯らしてしまったらしい。
 今ではどうなっているか? ススキとアワダチソウがバランスよく混生している風景をよく目にするようになった。アワダチソウに変化が見られたのである。
 彼らは自らの毒を弱め、その結果、ススキが入り込めるようにし、光や養分を分け合う分、彼らの背丈は、アメリカ人並みから、日本人並みに一回り以上小さくなった。
 どきつい黄色い花も、心なしか色が薄まり、ススキ同様、日本の秋の風情に合うようになってきた。
 強さを盾にして勢力を広げようと思っても、あるところでほころび、破綻する。それは、人間の歴史を振り返れば明らかである。権力が強すぎれば、いずれその力ゆえに滅び、あるいは衰退するようになっている。
 どこかで、力を頼りにすることを辞め、周囲と手をつなぐことが必要であるように思う。アワダチソウは、自分の傲慢さを自ら反省し、ススキと共生する道を選んだ。言い方を換えれば、自らの武器を放棄して、ススキに仲間入りさせてもらったのかもしれない。
 とはいえ、全てのアワダチソウが変化したわけではない。まだ自らの力を頼りに、西部開拓史よろしく、文字通り強力な武器をもったまま、背の高い屈強なアワダチソウが、荒地に出現しているのも、事実である。
 人間同様、懲りないアワダチソウも必ずどこかにいるようである。