競争と共存

   

 競争することと共存すること、相反する二つの言葉であるが、これを見事に調和させているものが、森である。
 植物の世界では、常に光を奪い合うための生存競争が繰り広げられている。最も背の高い樹木が光を独占してしまえば、多くの種類の植物は生存できないように思う。
 だが実際には、高い樹木が育って森が完成されたときが、樹木や山野草がバランスよく生存できている。
 完成された森というのは、高木層があり、最も多くの光を必要とする。次に中間の低木層があり、彼らは高木の林間から差し込む光をもらっている。
 そして一番下には、山野草が余った光をもらい受けて生きている。この状態が、森にとって最も安定し、動植物にとって住みよい世界である。
 では、逆にもっとも種類が少なく、共存のほとんどない競争だけの森にするには、どうすればよいか? 
 それは、全ての樹木をいったん伐採することである。樹木を伐採すれば、光が地面に直接届くことになる。地面に近いほとんどの植物は、その強烈な光に耐えられずに枯れてしまう。
 次に一種類の樹木だけを植林して一切手入れを加えないようにする。すると、お互いにただ競争するだけとなり、森ではなく、藪になり、地面は暗くて他の植物が入り込めなくなり、昆虫や動物も住めなくなる。
 どの植物にとっても、光は必要である。だが、もし全ての種類の植物に満遍なく、平等に、同じだけの光を当て、一種類の樹木だけに競争させたらどうなるか?
  今の世の中は、何でもかんでも平等であることが良いとされている。能力はそれぞれであり、したがって社会の地位もさまざまである。にもかかわらず、社会の成功者は、皆も頑張れば、必ず夢が実現すると、鼓舞している。
 だが、どんなに努力しても、実際に成功するのは、ごく僅かである。その社会の成功者でさえ、しあわせになっているかというと、そうでもない。
 樹木や草は、周囲を羨んだりすることはないから、そもそも平等とか、不平等とかいうことはない。だから、成功も失敗もないし、地位の格差もなく、自分の与えられた環境で、自分の能力の範囲内でひたすらに生きるだけである。
 わたしたちは、ともすると、お互いに同じ立場でいることが、共存だと思ってしまう。森は、さまざまな能力のものが、競争しあいながらも、それぞれに適した場所で生きていくということ、それが共存であるということを教えてくれている