ひと粒の米


ある秋の晴れた日、病院の出張手術にでかけた。更衣室に入って、術衣に着替えたが、まだ時間があった。なんとなく外の空気を吸いたくなって、窓を開けてみた。向かい側の棟にボイラー室が備えてあり、トタン屋根が架けていた。その雨どいに、植物が見えた。
 そこで見たのは、田んぼにある稲穂だった。しかも、黄金色に実った稲穂を重そうにして、頭をたれていた。他の雑草と見間違えたのかと思い、何度も見返したが、やはり、稲穂に間違いなかった。どうして、雨どいに稲穂が実っているのだろうか? 

 一年前の秋、スズメたちが田んぼの中で、たわわに実った稲穂につかまり、米をついばんでいた。その時、ひと粒の米が、小さい声でスズメに話しかけた。
「スズメさん、あなたにお願いがあります。あなたが、わたしを籾ごと飲んでくれれば、わたしは消化されずに、あなたの糞とともに外の世界へ飛び出すことができます。どうか、わたしに、生きるチャンスをください。」
「そう、わかったよ。でもどこで糞をするかは、自分でもわからない。それでもよければ、やってあげてもいいよ。」
 そういって、スズメはその米粒を籾ごと飲みこんで、しばらくすると、その場を離れた。次の日、スズメが糞をすると、その中に、籾に包まれたひと粒の米が混じっていた。だが、スズメが糞をした場所は、土の上でなく、屋根の上だった。それでも、動けない米粒はじっとチャンスを待つしかなかった。
 何日かすると、雨が降ってきた。籾は糞から剥がれ落ち、トタン屋根をつたって、雨どいにすべり落ちていった。米粒は雨どいの中を流れて、地面まで落ちていくのだと思った。
 だが、その雨どいには、いくらかの土が溜まっていた。米粒はそこで引っかかってしまい、下の地面まで行き着くことはできなかった。
 あくる年の春になり、その籾は雨どいの中で芽を出すしか、術はなかった。新しい芽は、雨どいに溜まったわずかな土の中で、成長した。肥料はほとんどなかったが、雨どいのため、水には恵まれていた。
 梅雨の時期まではよかったが、真夏の強烈な太陽光線で、雨どいの土はカラカラに乾き、稲は次第に枯れはじめた。
 秋が訪れ、周囲の田んぼに稲の刈り入れが行われるようになった頃、病院のボイラー室の雨どいに、ひと束の稲が葉っぱを半分以上枯らしながらも、しっかりと稲穂を身につけていた。
 少し離れた屋根の上に、一羽のスズメが、その稲穂をじっと見つめていた。やがて、稲穂に飛び乗ると、米粒を籾ごと何粒か飲み込み、どこかに向かって飛んで行った。