輪島塗略史

ジャパンとよばれる漆器は日本を代表する工芸品として、高い評価をうけてきました。 なかでも縄文時代前期(約5000年前)から現代にいたるまで、脈々とその伝統を受け継いできたところが半島能登であり、輪島塗です。
輪島塗の特色は他産地にみられない堅牢な下地にあります。それは木地のうえに地の粉とよぶ珪藻土の焼成粉末を漆に混ぜて塗る本堅地の技法で、 微細な孔をもつ珪藻殻の粒子に漆液がよくしみこみ、化学的にも安定な吸収増量材となることが確かめられています。この技法は周辺の大屋庄内の中世遺跡出土漆椀にみられることと、 文明8(1476)年の記録には分業化した塗師の存在が知られることから、室町時代には領主温井氏の保護を受けて産地が形成されていたと考えられるようになりました。 中世の輪島は「親ノ藩」とよばれ、日本を代表する「三津七湊」(港湾)の一つでした。港湾都市として周辺の木地師たちを吸収し、分業的生産・販売を行って発展したものが輪島塗といえるでしょう。 江戸時代中期から後期にかけて、堅牢な塗りを生かした華麗な沈金技法の採用と、椀講とよばれる頼母子講の普及によって全国的に知られるようになりました。 近代に入ると本格的な蒔絵技法が導入され、塗り・加飾ともに他産地を凌駕する勢いとなりました。作家も故前大峰氏(人間国宝)をはじめとして多数輩出し、 日展・伝統工芸展等の中央展常連作家は100余名を数えます。現在輪島塗は、全国漆器産地のなかでただ一つ、重要無形文化財の指定を受け、漆工技術の継承・発展に努力を重ねております。