結局、人の良さそうなばぁさんお薦めの西行丼を金四十円也を払って食べることになった。
西行丼などと聞こえはいいが何のことはないただの素うどんだ。 それでも少年達の全財産を叩いての食事だもの美味しくないはずがない。
丼の底に真っ赤に沈んだ七味唐辛子のスープをズズーッと最後まで飲み干すと喉の奥が焼け付くように辛かった。
満たされた腹は満足だった。
そして西行丼について考える余裕もでてきた。 歌人西行が、この奥州を旅していた頃、一般民衆はおろか武士だって贅沢な食事などできる筈はなかった。いま食べた素うどんだって西行さんから見れば、この鰹節のダシの効いた汁を飲んだら、きっと、おォー,ベリーグットと言うにちがいない。
北上川で捕れるウグイや遡上してきた秋鮭などが食べられていたのかもしれないが。・・・
駅前のじゃり道を少しばかり歩いたところに古ぼけた感じの駅前茶屋があり、その茶屋のばぁさんが少年達においでおいでの手招きしていた。
汽車の中で持ってきたおにぎりはすでに食べてしまっていたので、ばぁさんの手招きは少年達の空っぽになった胃袋を盛んに刺激した。
二人の少年が奥州平泉の駅前に下り立ったのは、七月の終わりの頃、時間てきに少年達の黒い頭をじりじりと焼け焦がすような暑い昼前だった。
貧乏旅行に来たのだ。会津若松駅からの往復切符を買ったら、少年らのポケットには十円玉がそれぞれ四枚づつが残っているだけだった。
旅行と言っても服装はサマーセーターにサンダル履き、ナップサックの中にはおむすび二個とタオルが一本入っているだけ、見るからに散歩に出た、そんな感じの二人だった。
夜明けの束稲山と北上川。この手前に衣川が有る。この一帯に20万都市が在ったとはなかなか信じがたい。
夏草や 兵どもの 夢の跡

