金色堂、この何と言っていいのか、この金色に輝く阿弥陀堂にど胆を抜かされた。
四本の巻柱、白く光る夜光貝細工、そして須弥壇(しゅみだん)、この須弥壇の中には、清衡、基衡、秀衡の遺体と泰衡の首級が納められている。マルコポーロの東方見聞録の中で「王国の一大宮殿は、それこそ純金づくめで出来ている」とあるのは、この金色堂を述べたもの云われている。
ここ奥州平泉の一帯ではかなりの砂金が採れたと云われている。
こんな話もある。 奈良の大仏の建設には莫大な費用が必要としたが、その莫大な建設費を集めるために全国を行脚しながら寄付を募ったのが良弁上人と云われている。 ここ平泉で採掘された砂金が大仏建設の多くの比重を占めたといわれる。 大仏が完成に近くなるころになって、それが権力者が民衆を御さえる政治の道具であり、自分は権力者に利用されたことを悟る。
王は釈迦如来 家来は仏たち そして政治は仏の教え
ようするにその威力示すための大仏建設であった知る。これはもう仏教ではない。こんな間違ったことが仏の教えと云われるのならば、と悲しみ 大仏建設費の多くを募った、ここ平泉まで来て即身仏と成るのである。
少年達の旅の目的の中に良弁上人の即身仏に会えるのを楽しみにして来たのだったが、予備知識に乏しかった為にそれは適わなかった。
(即身仏とは五穀絶って生きながらミイラになること。良弁上人は中尊寺の境内で地中に竹筒の空気穴つけた穴を掘り、その中で座禅姿のまま即身仏になったと云われている)
ときは一一七二年・・・ 京都に近い飯森山に住む 弁太という木こりは偶然の出来事から両親を殺され家を焼かれた上に、 恋人のおぶうを六波羅探題の役人に連行されてしまった。
追って京にやって来た弁太は、平氏一族の武士達をにくむあまり、五条の橋の上で通りすがりの武士から刀を奪いとっていたが、 浮浪児のヒョタンカブリという子供の紹介で、鞍馬山の天狗のもとにいる牛若丸という少年としりあい、いつしか、 牛若丸と行動を供にすることに成った。 牛若丸は源氏の御曹司で、やがて義経と名を改める。 義経は自己本位で野望のためには他人を踏みつけにしても強行する性格の持ち主であり、 弁太も義経に利用され、 ひきづられていく。・・・


