鎌倉手帳(寺社散策)


太田道灌の墓

(道灌塚:伊勢原市)


編集:岡戸事務所
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=太田道灌の墓=

 太田道灌は、扇谷上杉家に仕えた戦国武将。
 父資清が相模国の粕屋(現伊勢原市)に本拠を置いていたため、伊勢原市で生まれたと考えられている。
 江戸城を築いたことで有名な道灌は、和歌にも秀でた文武両道を備えた武将であった。
 晩年は、山内上杉家と扇谷上杉家との争いに巻き込まれ、その才能を恐れた主君上杉定正(扇谷上杉)の粕屋の館におびき出され謀殺された。
 道灌は、死の間際に「当方滅亡」と言い残したという。自分が死ねば扇谷に未来はないという予言だという。
 のちに、関東は北条早雲によって攻められ、扇谷上杉家は滅亡した。
 道灌の墓のある洞昌院は、道灌が関東管領上杉憲実(のりさね)の弟道悦(どうえつ)和尚のため建てた寺と伝えられている。



☆山吹と道灌☆

 鷹狩り出かけた道灌が、ひどい雨に降られ、蓑でも借りられないかと農家に立ち寄ったところ、一人の少女が出てきて「山吹の花」を差し出した。道灌は意味がわからず、その話を家臣にしたところ、少女の意が山吹の花にちなんだ古歌「七重八重 花は咲けども 山吹の実(蓑)のひとつだに なきぞ悲しき」にあったことを教えられた。「貧乏でお貸しできる蓑さえない。」という意味で、「実」と「蓑」をひかっけた少女のとんちだった。道灌は自分の教養のなさを恥じ、その後学問に励み、文武両道を供えた名君になったという。



〜参考〜

鎌倉英勝寺
太田道灌の首塚(鎌倉:okadoのブログ)



太田道灌の墓への行き方

小田急線伊勢原駅より『バス』

神奈中バス大山ケーブル駅行き

「道灌塚」下車、徒歩約5分


伊勢原市上粕屋






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