鎌倉手帳(寺社散策)

金 鶏 山
〜奥州・平泉〜

岡戸事務所
編集:岡戸秀仁







平泉・金鶏山


 金鶏山は、浄土思想に基づいて完成された政治・行政上の拠点である平泉の空間設計の基準となった信仰の山(標高98.6m)。

 「金鶏山」(きんけいさん)の名称は、山頂に雄雌一対の金の鶏を埋めたことにちなむと伝わる。

 山頂には経塚が設けられていた。

 奥州を訪れた松尾芭蕉は『奥の細尾道』のなかで、「三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたに有り。秀衡が跡は田野に成りて、金鶏山のみ形を残す」と記した。

 「平泉〜仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群〜」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されている。


松尾芭蕉のおくのほそ道・・・平泉(okadoのブログ)



金鶏山・千手堂
千手堂

 金鶏山の麓には、藤原三代の位牌、秀衡の木像などが安置されている千手堂がある。


金鶏山・源義経妻子の墓
源義経妻子の墓

 千手堂の傍らには、源義経の妻・郷御前と子の墓と伝わる五輪塔が建てられています。


義経の正妻・郷御前
(さとごぜん)

 郷御前は河越重頼の娘。母は源頼朝の乳母・比企尼の次女。

 1184年(元暦元年)、源義経と結婚。

 1185年(文治元年)に義経が頼朝と対立した後も、義経の逃亡生活に従い、藤原秀衡を頼って平泉に赴いた。

 義経が都落ちした頃の郷御前の行動は不明だが、1186年(文治2年)に懐妊していると考えられることから、義経とともに京近辺に身を潜めていたものと考えられている。

 1189年(文治5年)閏4月30日、藤原泰衡に衣川館を襲撃され、義経と娘とともに最期を遂げた。

 平泉では「北の方」と呼ばれていたという。







歴史めぐり源頼朝

源義経の伝説



金鶏山

岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立地内

JR平泉駅から徒歩10分程度



奥州平泉
奥州藤原氏の栄華〜平泉〜



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