鎌倉手帳(寺社散策)

関山中尊寺
奥州平泉


岡戸事務所
編集:岡戸秀仁







中尊寺


 中尊寺は、850年(嘉祥3年)、円仁 (慈覚大師) によって開かれたと伝えられる天台宗の寺院。

 山号は関山(かんざん)

 1105年(長治2年)、奥州藤原氏の祖・藤原清衡は、前九年、後三年の役の犠牲者を敵味方なく供養する仏国土建設のため、境内に堂塔の造営を開始。

 最初に釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立され、次いで高さ15メートルにも及んだという大長寿院(二階堂)が建立された。

 1124年(天治元年)には、清衡の廟堂としての金色堂が建立され、100年にわたる藤原氏の栄華の基礎が築かれた。
 
 1189年(文治5年)、奥州を攻めた折に大長寿院を見た源頼朝は、それを模して鎌倉に永福寺を創建している。

 2011年(平成23年)、「平泉〜仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群〜」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。

 仏国土とは、仏の教えによる平和な理想社会のこと。





中尊寺本堂
本堂
(中尊寺の根本道場)
中尊寺金色堂
金色堂
(皆金色の阿弥陀堂)


中尊寺経蔵
経蔵
中尊寺・金色堂旧覆堂
金色堂旧覆堂


中尊寺能舞台
白山神社
(中尊寺の北方鎮守)
中尊寺・大長寿院
大長寿院
(かつての二階大堂)


中尊寺・大長寿院
釈迦堂
中尊寺鐘楼
鐘楼
(盤渉調の梵鐘)


中尊寺・弁慶墓
弁慶の墓
(月見坂入口)
中尊寺月見坂
月見坂
(中尊寺の表参道)


中尊寺讃衡蔵
讃衡蔵
(中尊寺の宝物収蔵庫)
中尊寺大池跡
大池跡
(清衡建立の大寺院跡)







〜千僧供養と眠る如く眼を閉じた清衡〜

 『吾妻鏡』によると、清衡は、延暦寺園城寺東大寺興福寺など国内の寺から、中国の天台山まで、寺毎に千僧供養を行った。

 (※千僧供養とは、千人の僧を招いて食事を提供し、法会を営むこと。)

 そして、死に臨んでは、極楽往生を願う「逆修」を始め、百日目に当たる日に、病気でもないのに、合唱し、念仏と唱えながら、眠るが如く眼を閉じたという。



 1689年(元禄2年)5月13日、奥州平泉を訪れた松尾芭蕉は、まず、源義経衣川館があった丘に上り、「夏草や兵共が夢の跡」と詠み、その後、中尊寺の金色堂に訪れ、「五月雨の降り残してや光堂」と詠んだ。


松尾芭蕉



 『吾妻鏡』によると、中尊寺は藤原清衡が奥六郡の管理を初めて最初に建てられた寺。


中尊寺月見坂


 清衡は白川の関(福島県白河市)から外の浜(青森市)までの道に一町(約109m)ごとに、面に金色の阿弥陀像が描かれた笠塔婆を建て、その中央を計り、その山の上に塔を建てた。

 これが中尊寺の始まりだという。

 寺院の中央には多宝寺があって、釈迦如来と多宝如来が安置されていた。

 そして、塔と多宝寺の中間に道を通して関所を置き、旅人の往来の道としたのだという。







歴史めぐり源頼朝



中尊寺

岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202

JR平泉駅から徒歩25分程度


奥州平泉
奥州藤原氏の栄華〜平泉〜




中世歴史めぐり

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