鎌倉手帳(寺社散策)


大町釈迦堂口遺跡
北条時政邸跡




編集:岡戸事務所
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 釈迦堂切通の東側、衣張山西側中腹には、鎌倉幕府初代執権北条時政邸とされる遺跡がある。時政は、源頼朝の妻北条政子の父で、頼朝挙兵当初から従った武将。
 時政邸は、名越にあるので「名越殿」とよばれ、建久3年(1193年)には源頼朝も訪れた。時政が伊豆へ追放された後、子の義時の代には、3代将軍の実朝も雪見のためにここを訪れて、和歌の会を催したいう。
 比企の乱においては、時政に呼び出された比企能員が、仁田忠常に暗殺された場所でもある(参考:妙本寺 比企氏の乱 比企能員の暗殺・比企氏滅亡)。
 発掘調査では、青磁の大皿2枚と深皿1枚が発見され、東京国立博物館に保管されている。

北条時政という武将(okadoのブログ)


しかし、「北条時政邸跡」ではなかった!
 『吾妻鏡』にも登場し、これまで「北条時政邸跡」として紹介されていたこの場所は、平成20年の発掘調査の結果、最も古い遺構でも13世紀後半頃のものと推定され、時政が没した時期からすると「北条時政邸」ではないことが判明した。
 また、発掘では、「建物跡」や「やぐら」などが新たに発見され、寺院跡の可能性が高いとのこと。
 北条泰時義時を弔うために建てた「釈迦堂」かもしれません???。
 今後は、「北条時政邸跡」から「大町釈迦堂口遺跡」と変更される。

釈迦堂切通と大町釈迦堂口遺跡(okadoのブログ)




裏門の切通
◎裏門跡
 北条時政邸の裏門とされていた切通。
 前面は、釈迦堂口へと通じ、亭の防備も兼ね備えたものと考えられていた。


切通に架けられた太鼓橋

切通に架けられた太鼓橋


◎唐糸やぐら
 北条時政邸跡には、源頼朝の暗殺を企てた「唐糸」が幽閉されていたと伝えられるやぐらが残っている。
 源頼朝の従兄弟である木曽義仲は、頼朝の様子をうかがうため、琵琶と琴の名手である唐糸(義仲の家臣手塚太郎光盛の娘)を鎌倉へ送り込んだ。唐糸は、頼朝が義仲を討とうとしていることを知ると、頼朝を暗殺しようとした。しかし、頼朝にその企てを覚られ、釈迦堂近くの「やぐら」に幽閉されてしまう。それを救ったのが娘の万寿姫で、姫は頼朝に仕えると鶴岡八幡宮に奉納する舞の舞姫に選ばれ、その舞が頼朝に気に入られた。頼朝の「何でも望みのものをやる。」との言葉に、「母親を助けてほしい。」と頼んだそうである。頼朝は驚いたが、その願いを聞き入れたという。 

 唐糸が幽閉されていたやぐらの隣には、石仏のあるやぐらがある。 唐糸が幽閉されていたとするやぐら






時政邸跡に残るやぐら群



◎南邸跡
 写真は南邸内のやぐら。源頼朝が訪問した際に桜を楽しんだといわれていた。

 南邸跡からは、衣張山へと通ずる古道


釈迦堂トンネル(洞門)挟んで反対側には、「日月やぐら」がある。

鎌倉のやぐら





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