鎌倉手帳(寺社散策)

元寇(蒙古襲来)
〜蒙古襲来と鎌倉〜


編集:岡戸事務所
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 元寇とは、中国大陸を征圧したモンゴル帝国(元)の皇帝クビライによる日本侵攻のことで、1274年(文永11年)の「文永の役」と、1281年(弘安4年)の「弘安の役」のこと。「蒙古襲来」ともいわれている。



 1268年(文永5年)1月、元の使節が国書をもって訪日。鎌倉ではこの危機に北条時宗を8代執権に就任させた。


妙本寺日蓮聖人像

 日蓮『立証安国論』で、他国による侵略と国内の反乱を予想していたという。
日蓮の龍ノ口法難

 1271年(文永8年)9月12日、『立証安国論』で元の襲来を予想していたという日蓮が、極楽寺忍性らの告発によって、北条時宗の御内人平頼綱に捕らえられ、佐渡に流された。

二月騒動

 1272年(文永9年)2月15日、北条時宗は、兄の時輔らを粛正し、元の襲来に向けて国内統制の強化に努めた。
 日蓮が「国内に叛逆が起こる」と予言したのが、「二月騒動」のことだったといわれている。



〜文永の役〜

 元は、日本を属国にするつもりでいたが、度重なる元からの国書を幕府・朝廷は黙殺した。
 その結果、1274年(文永11年)、元と高麗の連合軍が博多に上陸することになる。
 元軍の激しい攻撃に日本軍は敗走してしまうが、夜中に暴風雨となり、元・高麗連合軍も艦船が破損・難破したため撤退したといわれている。


蒙古襲来絵詞



〜元使節の処刑〜

 1275年(建治元年)は、元は杜世忠ら5人を日本に派遣し、再度日本の服属を求めるが、北条時宗は、龍ノ口でこの使節を処刑した。藤沢片瀬の常立寺には、元国使の供養塔(元使塚)が建てられている。


常立寺の元使塚


〜竹崎季長の直訴〜

 1275年(建治元年)、肥後国の御家人竹崎季長は、文永の役での恩賞を求めて、御恩奉行の安達泰盛に面会し、領地拝領の下文を得た。
 このときの様子は、のちに季長がつくらせた「蒙古襲来絵巻」に描かれている。


〜無学祖元の来日〜

 1279年(弘安2年)、後に円覚寺の開山となる無学祖元が来日し、建長寺に入った。
 蒙古襲来への対応に苦慮し悩んでいた北条時宗に「莫妄想(煩悩)」の文字を与えたといわれている。

莫煩悩〜元寇と北条時宗と無学祖元〜(okadoのブログ)






〜弘安の役〜


石築地
 幕府は、文永の役での教訓を踏まえ、博多湾周辺に「石築地」(いしついじ)を築くなどして再度の蒙古襲来に備えていた。

 1281年(弘安4年)、元と高麗の連合軍は再度襲来したが、石築地の効果もあって、元と高麗の連合軍を海上に退かせることに成功している。
 そして、またも暴風雨に見舞われた元と高麗の連合軍は、大きな被害を受けて撤退したという。

円覚寺の建立〜

1282年(弘安5年)、北条時宗は蒙古襲来の戦没者の供養のため、円覚寺を建立し、開山には無学祖元が迎えられた。


円覚寺






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