1199年(正治元年)、源頼朝がこの世去った半年後、侍所で結城朝光の「忠臣は二君に仕えず。」という発言が、梶原景時の「将軍頼家への謀叛である。」という讒言を生んだ。そのことを朝光に告げたのは、北条政子の妹阿波の局(保子)であったといわれている。
驚いた朝光が三浦義村に相談すると、和田義盛、畠山重忠、千葉常胤ら御家人66人による景時に対する弾劾状が作成され、政所別当大江広元に提出された。
広元は、頼家への提出を考えていたが、和田義盛が強迫されて提出したといわれている。
この弾劾状に北条時政、義時父子の名は連ねられていない。しかし、事を大きくしたのは時政の娘阿波局の発言である。 |