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三浦の騙し討ちのような形となった小坪合戦では、畠山重忠の敗北的な感じであったが、重忠は、河越頼重、江戸重長に加勢を呼びかけ、8月26日、三浦氏の居城衣笠城を攻めた。
敗戦の色が濃くなってきたとき、三浦一族の当主三浦大介義明は、子義澄や和田義盛らに対し、衣笠城を逃れて頼朝に従うことを諭したという。89歳の老齢の武将は、頼朝を信じ、頼朝のために息子らを逃し、自らは城に残り自刃した。逃れた義澄らは、六浦から船出し、安房に向かう海上で頼朝一向に出会ったという。
畠山重忠が城の一方を攻めずにあけておいたという説もある。
安房で三浦一族と合流した頼朝は、千葉常胤、上総介広常らを従え、鎌倉を目指す。武蔵国で畠山重忠らも加わったが、三浦一族に対しては頼朝が言い聞かせて何事もなく収まっている。 |