1193年(建久4年)、源頼朝は富士裾野の巻狩りを行うが、その折に発生したのが「曾我兄弟の仇討ち」である(参考:相模の武将「曾我兄弟」)。
曾我十郎祐成と五郎時致の兄弟が工藤祐経を討った事件であるが、鎌倉には頼朝も討たれたいう報が流れてしまう。範頼は、巻狩りに参加していなかった。
うろたえる北条政子に範頼は、「私がいるから大丈夫だ。」と言ったといわれている。後日、この言葉が謀叛の疑いをかけられる原因となった。
範頼は、謀叛など考えていないことを「起請文」として頼朝に提出するが、ここでまた問題が発生する。起請文に「源範頼」という署名をしてあったことが頼朝の怒りに触れてしまうのである。「源」の姓を名乗るいうことの重要さを範頼は理解していなかった。
数日後、頼朝の御所に範頼の家臣で当麻太郎という者が忍び込み捕らえられた。「起請文の件で怒りをかって以来、何の沙汰もないことから、様子を窺いに来た。」と弁明したようであるが、範頼の命で頼朝を暗殺しようとしたと判断され、範頼は伊豆修禅寺に流された。 |