翌1219年(建保7年)1月27日、鶴岡八幡宮で行われた右大臣拝賀の式に出席した実朝は、太刀持ち役を務めていた源仲章とともに、甥の公暁によって暗殺された。
公暁は「親(頼家)の仇」として実朝を暗殺したものと考えられている。
実朝の首を持って逃走した公暁は、乳母夫の三浦義村邸へと向かうが、義村が差し向けた長尾定景によって討ち取られた。
実朝の首は見つからないまま勝長寿院に葬られたという。
秦野市には、「源実朝公御首塚」があって、長尾定景とともに公暁追討を命ぜられた武常晴が実朝の首をこの地に埋葬したと伝えられている。
実朝の死によって、源頼朝から始まった源氏の政権は三代で滅んだ。 |