鎌倉手帳(寺社散策)

お十夜法要
〜鎌倉:光明寺〜

岡戸事務所
編集:岡戸秀仁







お十夜法要


 光明寺の「お十夜」は、三日三晩にわたり本堂で念仏や御詠歌を唱える法会。

 千日の修行に値するといわれています。

 境内や沿道には夜店や露店が並び、山門(三門)楼上の特別公開もあります。

  10月12日から15日。

お十夜法要 お十夜法要


主な催し

献茶(12日午後3時)

練行列(13・14日午後1時30分頃)

双盤念仏(13・14日終日)

稚児礼賛舞(13・14日午後7時)

雅楽(13・14日午後7時30分)


2017(平成29年)「お十夜法要」(okadoのブログ)





お十夜法要 お十夜法要
練行列

行列は九品寺から出発します。


お十夜の練行列・・・鎌倉:光明寺2012/10/13(okadoのブログ)

鎌倉:光明寺のお十夜2013/10/13(okadoのブログ)



お十夜法要


〜お十夜の始まり〜

 十夜の念仏会は、平安時代に慈覚大師(円仁)が唐の清涼山から比叡山に伝えたものといわれ、室町時代に後花園天皇によって京都東山の真如堂に伝えられたようです。

 そして、永享年間(1429年〜41年)に平貞国が京都の真如堂に籠もって10日間の念仏を勤めたのが、現在の「お十夜」の始まりなのだと伝えられています。

 お十夜の正式名称は「十日十夜別時念仏会」、もともとは10日間にわたって行われる法要でした。


お十夜法要


〜光明寺のお十夜〜

 1495年(明応4年)、第九世観誉祐崇(かんよゆうそう)が宮中で「阿弥陀経」の講義を行い、真如堂の僧とともに「引声念仏」を修したことで、後土御門天皇より「お十夜法要」が勅許されました。

 これが浄土宗寺院での「お十夜」の始まりとなります。

 「お十夜法要」は、古式に従った「引声阿弥陀経」・「引声念仏」によって行われます。


お十夜法要
にない堂
(延暦寺西塔)

 「引声阿弥陀経」や「引声念仏」は、曲節をつけて声を引き伸ばして唱えるもの。

 慈覚大師円仁が中国唐から比叡山に伝えたのだとされています。

 延暦寺西塔にない堂は、常行堂(左)と法華堂(右)が廊下で繋がった建物。

 慈覚大師円仁は、常行堂で引声念仏を行ったのだといいます。







〜山門楼上の特別公開〜

光明寺の山門楼上
山門楼上
光明寺の山門からの景色
山門からの景色

 13日・14日には、山門楼上が特別公開されます。

 楼上からは、材木座の海を一望できます。

 公開時間は、午前10時から午後4時。


〜境内にはたくさんの露店〜

お十夜法要 お十夜法要

お十夜法要

 境内には、農具や大工道具、日用品や小物を売る露店が並びます。

 道端に並ぶ植木市は「お十夜名物」の一つ。

 露店は13日と14日。


大聖閣
大聖閣
光明寺裏山の展望
裏山の展望


鎌倉:光明寺の山門特別公開2014/10/14(okadoのブログ)

鎌倉:光明寺裏山からの景色2014/10/14(okadoのブログ)



〜伝説!平貞国〜

 世の無常を感じた平(伊勢)貞国は、真如堂に三日三晩の参籠をし、満願の暁には出家しようとしていたが、夢に高僧が現れ「おまえが私を信じるなら、来世には必ず救われる。今の世の事は3日まて」と告げた。

 すると、三日後に、足利義教に仕えていた兄貞経が隠居を命ぜられ、貞国が跡を継ぐことになった。

 お告げがなかったら、自分は出家してしまい、兄の跡を継ぐどころか家が絶えてしまうところだった。

 貞国は、夢のお告げに感謝し、七日七晩重ねて参籠した。

 これが「お十夜」の始まりとなったのだという。 


 伊勢貞国は、室町幕府の政所執事を務めた人物。
 1431年(永享3年)に兄貞経が失脚したことにより家督を継いだ。
 貞国の娘は戦国大名となる北条早雲を生んでいる。


真如堂
真如堂
(お十夜発祥の地:京都)







光明寺・海の景色
光明寺

鎌倉市材木座6−17−19
0467−22−0603

鎌倉駅東口から徒歩35分又は
小坪経由逗子駅行バス「光明寺」下車


光明寺境内MAP






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