鎌倉手帳(寺社散策)


大 山 寺

(伊勢原市)


編集:岡戸事務所
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=鉄造不動明王《大山寺》=
(真言宗大覚寺派)
 大山寺は、755年(天平勝宝7年)、東大寺を開いた良弁によって開かれ、第三世には弘法大師が入山している。
 源頼朝が戦勝祈願のための太刀を奉納したと伝えられ、鎌倉胡桃ヶ谷にあった大楽寺の願行は、1264年(文永11年)、大山再興のために江ノ島に参籠し、「鉄造不動明王」と「こんから童子」、「せいたか童子」を鋳造した(国の重要文化財)。
 鎌倉覚園寺の鉄造不動明王像は、願行が、大山寺の不動明王像を鋳造するに当たって試しに鋳造したものと伝えられ、「試みの不動」と呼ばれている。
 明治の神仏分離によって、大山阿夫利神社下社のある場所から現在の場所に移された。 

〜大山詣〜
 江戸時代に入ると、徳川家康が大山寺を改革し、春日局は、家光が世継となるよう祈願するため参拝している。
 家光は、宇都宮の吊天井の難を逃れたのは不動明王像の加護のおかげとして深く帰依し、大山寺の造営(大修繕)を行っている。
 こうしたことから、江戸大衆の間でも大山の不動詣りが広まっていったという。

〜大山こま〜

 神奈川を代表する民芸玩具の「大山こま」。
 「こま」は、家内安全、商売繁盛、五穀豊穣を祈る縁起物。大山信仰の賑わいとともに発展した伝統工芸品。
 大山ケーブルの駅までの大山の名産品の店が並ぶ参道は、「こま参道」と呼ばれている。
 ※「大山こま」の流れと思われる「こま」に、湘南地方の「喧嘩こま」といわれた「片瀬こま」があります(参考:片瀬こま〜藤沢の伝統文化〜)。

〜大山詣でと宝泉寺(藤沢)〜
 藤沢市辻堂にある宝泉寺は、源頼朝が勧請した寺ともいわれ、江戸時代には、大山詣の帰りに必ず参詣する寺として賑わっていたという。

◎かわらけ投げ(土器投げ)
 「厄除け」と書かれた土器(どき)を崖下の輪にめがけて投げ、輪の中をくぐれば幸運をもたらすとされている。


青銅宝篋印塔
高さ11メートル。1795年(寛政7年)に建立された。香花を供えて右回りに3度回ると願いがかなうという。




爪切り地蔵

子育て地蔵

弘法の水

無明橋

潮音洞
女坂の七不思議

弘法の水  弘法大師が杖を突いたら湧き出したという。

子育て地蔵  いつの間にか童(わらべ)の顔に変わったというお地蔵様。

爪切り地蔵  弘法大師が手の爪で一夜のうちに彫ったと伝えられる。

逆さ菩提樹  幹の上の方が下よりも太くなっている菩提樹。

無明橋
(むみょうばし)
 話をしながらわたると悪いことが起こる橋。

潮音洞
(ちょうおんどう)
 潮騒の音が聞こえる洞。

眼形石
(めかたいし)
 ふれると眼の病気が治る石。





◎幸福の鐘
 江戸時代には、大山と江の島の二所詣が盛んで、大山詣の帰りには江の島に詣でるのが通常だった。そして、両方参詣しないのは片詣りといわれた。
 昔は、大山を男の神、江の島を女の神にみたてていた。
 江の島には「男女で弁財天に参拝すると弁天様に妬まれて別れる」という噂がまで流されたという。
 そんな、大山と江の島の由来から建立されたのが、「幸福の鐘」で恋愛成就・縁結び・厄除招福(幸福)・子宝成就・安産・火難除などのご利益がある。 


遠くに江の島を望める場所

背後には平和を願う十一面観音




大山阿夫利神社下社
 大山は、常に雲や霧を生じているので「あふり山」と呼ばれ、古代より神の山として崇められてきた。
 大山阿夫利神社の創建は2200年も前のこととされ、良弁の入山によって神仏習合の雨降山大山寺となった。




秋の大山を散策


大山寺への行き方

小田急線伊勢原駅より『バス』

神奈中バス大山ケーブル駅行き
徒歩15分
大山ケーブル駅からケーブルで大山寺駅へ
徒歩5分


梵鐘





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