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歴史めぐり源頼朝
〜保元の乱と平治の乱〜







〜保元の乱〜

 1156年(保元元年)7月、皇位継承問題と摂関家の内紛から起こった保元の乱で、源頼朝の父義朝は平清盛とともに後白河天皇に味方して勝利します。

  (※義朝の父為義と弟為朝は、崇徳上皇方について戦っています。)

 その勲功から義朝は播磨守に、頼朝は右兵衛佐に任ぜられ、官界での出世を果たしました。


源為朝の墓
源為義の墓
(京都市下京区)


保元の乱・・・武士の台頭(okadoのブログ)



〜平治の乱〜

 しかし、源氏が政界の中心にいる時代は長続きしませんでした。

 1159年(平治元年)12月の平治の乱では、13歳の頼朝も源家重代の源太産衣(げんたがうぶぎぬ)を着用し、髭切の太刀(ひげきりのたち)を帯びて初陣を果たしましたが、父義朝は清盛に敗れてしまいます。

 敗れた義朝は、京を脱出して東国で再起を図ろうとしますが、翌1160年(平治2年)1月3日、尾張国で長田忠致の裏切りに遭って殺害されてしまいます。

 一方、頼朝は、義朝と行動をともにしていましたが、美濃で一行とはぐれてしまったため、義朝が殺害されたときには一緒にいませんでした。

 命拾いした頼朝でしたが、1160年(永暦元年)2月9日、捕えられて清盛のいる六波羅へと送られます。


源義朝の墓
源義朝墓
(愛知県美浜町)
野間大坊(大御堂寺)
野間大坊
(愛知県美浜町)


平治の乱・・・明暗が分かれた平氏と源氏(okadoのブログ)







参考:髭切の太刀

 平治の乱で初陣の頼朝が帯したという「髭切の太刀」(ひげきりのたち)は、源満仲が作らせたもので、罪人を試し切りした際に髭まで切れたから付けられ名だといいます。

 源頼光の代には、頼光の四天王の一人渡辺綱が一条戻橋で鬼女の腕を切り落としたという伝説が残され、「鬼切」と名を変えたともいいます。

 その後、何度か名を変えますが、源義朝の代に「髭切」に戻されました。

 鎌倉時代には頼朝の法華堂に納められていたといいますが、1333年(元弘3年)、鎌倉に攻め入った新田義貞が持ち出したといわれ、現在、北野天満宮所蔵の「髭切」がそれだとも伝えられています(重要文化財)。


一条戻橋(京都市)
一条戻橋
(京都市上京区)
北野天満宮(京都市)
北野天満宮
(京都市上京区))


源氏重代の太刀・・・頼朝の「髭切」と義経の「膝丸」(okadoのブログ)




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