鎌倉手帳(寺社散策)

秋の鎌倉 ヒガンバナ

FB



歴史めぐり源頼朝
〜義経を慕う静の舞〜







 1185年(文治元年)11月3日、都落ちした源義経は、大物浦で難破し、数人の供とともに吉野山に逃げ込みました。

 一行の中には、義経の愛妾・静御前もいましたが、静は吉野山で義経と別れ、11月17日、山中をさまよっているところを僧兵によって捕えられてしまいます。

 その後、北条時政に引き渡されたは、1186年(文治2年)3月1日、母の磯禅師とともに鎌倉へ送られてきました(安達清経邸が宿舎とされています。)。

 源頼朝は静に義経の行方をきびしく尋問しますが、はそれを拒否し続けたそうです。



〜静の舞〜

 義経の愛妾・は、京の白拍子。
 
 の舞を見たくなった頼朝は、4月8日、八幡大菩薩に献舞するためとして静を鶴岡八幡宮に招きます。

 は舞うことを断り続けていたといいますが、北条政子のとりなしもあって仕方なく舞を披露しました。

 舞った場所は鶴岡八幡宮若宮の回廊で、工藤祐経が鼓を畠山重忠が銅拍子を担当したと伝えられています。


静の舞
静の舞

よしの山 峰の白雪ふみ分けて いりにし人の あとぞ恋しき

しづやしづ しづのおだまき 繰り返し むかしをいまに なすよしもがな


 しかし、は吉野山で別れた義経を慕う歌を歌いながら舞います。頼朝に対して反抗心を燃やす静からは、一切、祝いの言葉は出ませんでした。

 源家の繁栄を祈ることを期待していた頼朝は激怒しますが、政子が諭したといいます。


  は、5月27日、勝長寿院でも舞を披露しています。

 頼朝の娘大姫に見せるための舞だったといいます。ともに悲恋を経験した者ですので、何か通ずるものがあったのかもしれません。




義経の逃亡と守護・地頭の設置

静御前と子の悲しい運命



源頼朝









岡戸事務所
編集:岡戸事務所

FB


鎌倉手帳
(鎌倉情報トップ)

鎌倉のハギ お十夜