鎌倉手帳(寺社散策)

秋の鎌倉 ヒガンバナ

FB



歴史めぐり源頼朝
〜大姫入内の夢〜







 1195年(建久6年)、東大寺大仏殿落慶供養に出席するため上洛した源頼朝は、妻の政子、長男の頼家、長女の大姫を伴っていました。

 この上洛の真の目的は、大姫を後鳥羽天皇の妃にすることだったともいわれています。
 当時、大姫は17歳前後ではなかったかといわれています。


東大寺(奈良市)
東大寺大仏殿
(奈良市)



〜大姫の入内問題と九条兼実の失脚〜

 頼朝は、これまで関白九条兼実との協力体制を築き、朝廷と幕府の関係を円滑に運営してきました。

 特に、後白河法皇亡き後、征夷大将軍に任ぜられたのは、兼実の力によるものでした。

 しかし、この上洛では、兼実と敵対関係にある丹後局と源通親に接近し、大姫の入内運動を行っています。

 頼朝の支持が、兼実から丹後局と通親に移ったことは、兼実の失脚に繋がりました。

 そして、1196年(建久7年)の政変では、兼実は関白を罷免され、弟の慈円も天台座主の地位を奪われることになります。

 この政変について頼朝も知っていたとする説があります。

 兼実が関白を罷免された後、京では、「兼実邸に出入りする者は頼朝のお咎めを受ける」という噂が流れたともいいます。


東福寺
東福寺
(京都)
最勝金剛院(東福寺)
最勝金剛院
(東福寺)

 九条兼実は、藤原忠通の三男。

 東福寺は、兼実の孫・道家が菩提寺として繁栄した法性寺跡地に建立した寺院。

 最勝金剛院は九条家の墓所を管理する東福寺の特別由緒寺院。



〜大姫の死〜

 1197年(建久8年)7月14日、大姫がこの世を去ります。

 おそらく20歳前後だったのでしょう。

 大姫の死によって頼朝の夢は絶たれました。

 そして、頼朝が行った大姫の入内運動は、親幕派の兼実を失脚させ、反幕派の通親の権力を増大させてしまいました。 


岩船地蔵堂(鎌倉市)
岩船地蔵堂
(鎌倉市)


 1198年(建久9年)、後鳥羽上皇が退位して土御門天皇が即位します。

 土御門天皇は通親の養女が生んでいますので、反幕派の通親は天皇の外祖父となりました。 




信濃善光寺の参詣

英雄の死



源頼朝









岡戸事務所
編集:岡戸事務所

FB


鎌倉手帳
(鎌倉情報トップ)

鎌倉のハギ お十夜