告白 |
私はゼル・ディンの母親です。 私の告白を聞いて下さい。 昨日、あの子、ゼルから電話がありました。 大事な人を紹介したいと言いました。 あの子は恥ずかしそうに、くすぐったそうに、名前を教えてくれました。 「・・・で、サイファー・アルマシーって言う奴なんだけど。」 私は凍りつきました。 受話器を持ったまま、思わず眼を閉じました。 私の瞼の裏側に、一つの光景が浮かんできます。 乾燥した、冷たい風の吹くセントラの岩浜。 あなたに初めて会った場所です。 あなたは覚えているでしょうか。 昔、私が少女だった頃、海辺で父に聞いたことがありました。 波は何処から来るのかと。 父は笑っていいました。 どこかで強い風が吹いている、その風が海に波を作るのだと。 風の力は絶えることなく、波となってうねるのだと。 風光明媚な港町、バラムで育った私には、セントラの荒々しい景色は物珍しいものでした。 暖かい海風の代わりに、冷たく澄んだ風が通る、岩だらけの海岸にぽつりと建つ孤児院。 強い風が辺りの雲を追い払い、空は青く高かった。 私はそこに、愛するあの子を引き取りに行ったのです。 緑の海に見とれていると、まだ子供だったあなたがやってきました。 セントラの海に良く似た、緑の眼をした小さな子供。 あなたは私に、傲慢な程、堂々とした態度で言いました。 ゼルを連れて行っても無駄なことだと。 私は何故と問いました。 あなたは勝ち誇って答えました。 ゼルの居場所はここだから、と。 力強く、私に帰れと言いました。 私の夫は笑いました。 可愛い子供。仲良しの友達を失う事が寂しい子供。 でも、私は笑うことが出来ませんでした。 あなたの顔は、あまりに真剣過ぎました。 昂然ともたげた顔に、みなぎる強い意志。 あなたが本気であの子を取られまいとしているのが、私には分かりました。 それは子供の感傷ではないように思えました。 私はあの子に、わざとあなたに「さようなら」を言わせました。 あなたがあの子を諦めるように。 その時、あなたは私を見ました。 私は忘れることが出来ません。 あなたの眼は、私にはっきり言っていました。 いつか、返してもらう、いつか、取り戻しに行く、と。 私はあの子を抱きかかえるように孤児院を出ました。 あなたの眼を見返すことが出来ませんでした。 動き出した車の窓からやっと振り返ると、あなたが門の前に小さく見えました。 あなたは強い風に立ち向かうように真っ直ぐ立っていました。 私はあの子を愛しました。 私は子供が出来ません。昔、病気をしたのです。若いうちから分かってました。 でも、私には愛するものが必要でした。 このバラムの海の色を持つ、澄んだ明るい瞳の子供。 私を頼り、飛びついてくる、私のゼル。 私はあの子を慈しみ、叱り、笑い、抱きしめて、あの子を夢中で育てました。 泣き虫だったあの子が、私のもとでどんどん腕白になっていくのを、私はどんなに 嬉しく思ったことでしょう。 そんなある日、手紙が来ました。 子供らしい、つたない文字であの子に宛てた手紙です。 裏側にあなたの名前がありました。 どうしてここが分かったのでしょう。 私はとっさに封を切ってしまいました。 中にあなたの手紙が入っていました。 幼い文字でびっしりと、帰って来い、戻って来い、と何度も書いてありました。 お前をずっと待っていると。 もし、お前も俺を待っているなら、どんな事をしてでも逢いに行くと。 私は手紙を握り締めました。 あの子に見せる事は出来ないと思いました。 この感情は激しすぎる。 あの子はまだ子供なのです。 今あの子に必要なのは、伸び行く心と身体を、優しく守る愛情なのです。 この激しさはあの子を惑わせ、心を引き裂くばかりです。 私は暖炉であなたの手紙を燃やしました。 何度も手紙はやってきました。 ある時は怒りに満ちて、ある時は哀願に満ちて。 どの手紙にも、戻って来いと書いてありました。 どうして返事をくれないのかと書いてありました。 つたない文字が段々整っていき、季節は変わっていきました。 あなたが最後に送った手紙。 あなたは強くなると書いていました。 その為にある学校に入ると。 これからは、多分手紙を書けないと。 これが最後の便りだから、どうか返事を書いてくれと。 その手紙すら、私は燃やしてしまいました。 再びあなたの名前を聞いたのは、あの魔女パレードの時でした。 若き指揮官、サイファー・アルマシー。 私はテレビの前で立ちつくしました。 不思議な事に今は皆、あの騒動を覚えていません。 あなたの名前も、皆の記憶に無いようです。 でも私は、その名を忘れる事は出来ません。 それは私がその名をずっと、心のどこかで恐れていたからです。 私は机の上にメモを残して置きました。 港の桟橋であなた達を待っていると。 あの子はびっくりするでしょう。 それでもきっと、あなたを連れてここまでやって来るでしょう。 暗い家の中では耐えられません。 せめて陽光あふれるこの海岸で、この時を迎えさせて下さい。 あなたが私に再会する時、それは私があの子をあなたに返す時です。 あなたはついにやって来ました。 誰かが私を呼んでいます。 遠くから、ちぎれんばかりに腕を振る。あれはきっとあの子です。 太陽があの子の髪を照らしています。 あの子が後ろを振り返る。 あなたに早くと腕を上げる。 弾むような足取りで、私の方に指を差す。 あの子の後ろに見えてきた、あれはあなたの姿でしょうか? 海風に、コートの端が舞い上がる。 白いコートがマントの様にあなたを包み、 物見高いバラムっ子達が、あなたの為に道を空ける。 若い娘は媚びを含んであなたを見上げ、男達は畏敬を込めてその逞しい体を見つめる。 何と言う若者でしょう。 まるで王者の凱旋です。 あなたは本当にやってきました。 あの日セントラに吹いていた強い風。 それは今、大きな波となって、このバラムに押し寄せました。 誰もそれを止めることは出来ませんでした。 頬に当たる風が急に冷たくなりました。 一体どうした事でしょう。 しっかり者と評判のこの私。 その私が泣いているなんて。 早く涙を拭かなくてはなりません。 あの子が心配してしまいます。 あの子がここへ来る前に、涙を止めてしまわなくては。 ああ、もっと、もっとゆっくり歩いて下さい。 海鳥達が風に乗り、私の前に乱れ飛ぶ。 この鳥達が飛び去ってしまったら、もはや壁はありません。 あなた達を笑顔で迎えなければなりません。 王者の様に悠然と、私の元へ来るあなた。 どうか、私の告白を聞いて下さい。 私の長い告白を――――――――。
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