ループ (episode 1)


「ゼル、俺のことが好きなんじゃないか?」

からかうような問い掛けに、答える声は無い。いつもの事だ。
その度に、軽い失望が影のように胸を過ぎる。それも、いつもの事だ。
失望するのは、心の何処かで期待しているからだ。

そうだよ。スコール、お前の事が好きだ。

そんな答えを期待しているからだ。
そんな事、ありえないと判ってるのに。

ぼんやりとベッドに横たわるゼルに、歪んだ笑みを向ける。
「じゃなきゃ、お前、よっぽど好きなんだな、こういう事。」
こういう事、に力をいれて囁くと、ゼルが一層困ったように金色の眉を顰めた。
「突っ込まれて、こんなによがれる男って、そういないと思うぞ。カラダの相性がいいんだろうな。俺達。」
返事が無い。胸に不安が湧き上がった。少し声が重過ぎただろうか。強く言い切り過ぎただろうか。
慌てて、声の調子を上げた。
「気にするな。俺はお前が男好きの淫乱だって、全然気にしないから。むしろその方が話が早くていい。」
おどけた表情でゼルの顔を覗き込む。今の会話は、全部冗談だ、と分からせるように。
そんな困った顔をする必要なんか無い、下らない冗談だと思って貰えるように。
ようやくゼルが身体を起こして、こっちを見た。呟くように言い返す。
「・・・俺はそんなんじゃ・・・。」
小さな声に混じる嫌悪の響きに、益々焦った。動揺を押し隠して、捻じ伏せるような笑顔を浮かべた。
「分かってる。でも、最初に誘ったのはお前だ。」
ゼルが俯く。そのうなだれる細い顎を持ち上げて、唇を合わせた。
「・・・もう一回、やろう。」
返事を待たずに耳朶を軽く噛む。ゼルが僅かに抵抗しかけて、すぐ諦める。分かっていた。
これを言えば、ゼルは抵抗出来ない事が。これを言わなければ、納得させる事が出来ない。
俺と寝る事を。
ふいに、胸に鋭い痛みが走った。ゼル、お前はどうするだろう。
それが、嘘だと知ったら。

そんな事実は無かった。
あるのはただ、俺がゼルを飢えたように求めていた、という事実だけだ。
ずっと押し殺していた欲望が、千載一遇のチャンスに堰を切って溢れただけだ。
あの時、ゼルは泥酔していた。バースディパーティに、こっそり持ち込まれたアルコール。
主役だからと、むやみに勧められていた。パーティが終わる頃には、まともに立つ事すら出来なかった。
俺が背負って連れ帰ると言った。皆それを聞いて、安心した笑顔を浮かべてた。
部屋に戻っても、ベッドに寝かせても、ゼルは意識朦朧としていた。
それで、俺は抱いたのだ。無抵抗のゼルを。
酒に嬲られた、頼りない身体を。訳も分からずしがみ付く身体を、引き裂いたのだ。

あれほど泥酔してなければ、ゼルはきっと途中で正気に戻っただろう。激しい痛みに、止めろ、と
大声で叫んだだろう。止めようとしない俺を殴っただろう。全て酒の力だった。
ゼルは相手が誰かも分かってなかった。体を引き裂く痛みに、泣きながらしがみ付いてきた。
俺に抱きしめられながら、泣きじゃくっていた。痛い、と回らぬ舌で訴え続けてた。
全身が沸騰するようだった。俺に頼りきってる細い身体が、愛しくて堪らなかった。
まるで恋人同士のようだと思った。好きだ、愛してる、と何度も繰り返した。狂ったように繰り返した。
それが錯覚だと分かっていても、言わずにはいられなかった。いや、その時は錯覚だと思って
無かった。そんな事に気づく余裕は無かった。ただ夢中でゼルを貪り続けた。

多分、俺も大分酔っていた。だから、何度目かの放出の後、そのまま泥のように眠り込んでしまった。
後の事も考えず、恋人きどりでゼルの身体を抱きしめたまま、深い眠りについてしまった。
翌朝、目が覚めると、ゼルも殆ど同時に眼を覚ました。
裸で寄り添う俺を、呆然と眺める。思わず身じろぎして、下半身の苦痛に呻く。震える手が、恐る恐る毛布をめくる。
そこには血と精液に汚れるシーツがあった。
ゼルの顔から、みるみる血の気が引いてくる。その表情を見れば、昨日の記憶が全く無いのは明らかだった。
まさか。そんな、馬鹿な。
混乱する思考が見えるようだった。青ざめた唇が、今にも悲鳴を上げそうだった。
とにかく落ち着かせようと、金色の頭に手を伸ばした。
その途端、ゼルが全身を強張らせた。弾かれたように、身体を後ろに引く。
その眼に浮かんでいるのは、紛れもない恐怖だった。

一気に夢から覚めた気分になった。
「ゼル・・・・」
呼びかける声に、ビクリと身体が震える。ずるずると後退りしようとする。
「さ、触るな・・・」
乾いた唇から、ひび割れた声が漏れた瞬間、俺は悟った。
俺を嫌悪している。俺を恐れている。同性の自分を犯した俺を。そして俺から逃げようとしてる。
心臓が凍りつきそうだった。必死でゼルの手首を掴んだ。そんな事は耐えられなかった。
失う事も、嫌悪される事も。
力ずくで引き寄せて、手首を掴んだままベッドに押し付ける。驚きに固まる白い顔に、冷たく言い放った。

「お前が誘ったんだ。」

愕然と青い瞳が見開かれる。
「・・・・俺が・・・?」
「そうだ。・・・昨日、お前は随分酔っていた。それは覚えているだろう?」
冷静な口調で話しながら、口の中は緊張でカラカラだった。失敗は出来ない。
「・・・・うん。」
「部屋まで送って、帰ろうとした俺に、お前は抱きついてきたんだ。俺とやろう、って自分からキスを仕掛けてきた。」
ニヤリと下卑た微笑を浮かべる。
「なんだ、覚えてなかったのか。あんなによがってたのに。」

「・・・・嘘だ・・・」
ゼルが弱弱しく首を振る。小さな子供のような仕草に、胸が痛んだ。そうだ。嘘だ。全部俺の作り話だ。
「嘘じゃない。お前はよがって女みたいに腰を振ってた。」
思わせぶりに自分の肩をゼルに見せた。
「ほら、お前の爪の跡だ。お前、俺にしがみついて離さなかったんだぞ。もっとくれ、って言って。
本当に驚いたな。お前があんなに、淫乱なんて。」
ゼルが呆然と爪跡の散る肩を眺める。元々白いその顔は、今や血の気が引きすぎて、青い血管まで
透けて見えた。確信した。俺の嘘を信じ始めてる。冷静に証拠をあげる俺に、流され始めてる。
全部嘘なのに。
しがみついてきたのは、痛かったからだ。俺が与える苦痛に耐え切れずに、しがみついてきたんだ。
もっとくれなんて、一言も言ってない。お前の下半身を汚す精液は、全部俺のものだ。

自分の汚さに反吐が出る思いだった。全ての責任を、全部ゼルに押し付けて。
そうやって、ゼルを追い詰めようとしている。自分を守ろうとしている。
汚いのはお前だ。俺は汚くない。
だから、俺を嫌う理由は無い。俺を軽蔑する理由は無い。俺から、去って行く必要は無い。
必死で、そう思わせようとしてる。


ゼルがぎゅっと唇を噛む。強く噛締める力に、頬が硬く緊張してるのが分かった。
その頬に軽く触れて、いやらしいほど優しく言った。
「・・・大した事じゃない。お互い溜まっていた性欲を処理しただけだ。そうだろ?」
ビクリと顔を上げるゼルに、軽くふざけたキスをする。何でもない事のように。何の意味もないように。
俺を負担に思わぬように。
にっこり笑って、ゼルの冷えた唇を指で撫ぜる。
「すごく、良かった。また、やろう。」
「え?」
驚く青い瞳を見下ろしながら、決め付けるように囁く。
「・・・最初に誘ったのは、お前だ。」

あれから、ゼルはちっとも俺の前で笑わなくなった。あんなに明るく、賑やかだった男が。
嫌そうに顔を伏せながら、唯々諾々と俺に従って身体を開く。触れば何時でも、困惑したように
眉を顰めた。
当たり前だ。
俺のしてる事はまるで強請りだ。ありもしない事実をたてに、関係を迫る恐喝者。
知られたら、御終いだと思った。
ゼルが好きで好きで、いつでも抱きたくて、いつでも側にいて欲しくて。
そんな気持ちがゼルに知れたら、お終いだと思った。俺が一方的に想いを寄せてたら、偶然ゼルから
誘ってきたなんて事があるか。そんな都合のいい話があるか。たちまちバレてしまう。
俺が卑劣な恐喝者だという事が。
だからいつも軽い態度をとった。特別な感情など、何一つ抱いてないように振舞った。
愛や恋は鼻先で笑う男を装った。

それでも。

それでも、心のどこかで期待していた。ひょっとして、俺を好きになってくれるんじゃないかと。
体を重ねてるうちに、本物の恋人同士になれるんじゃないかと。
ゼルが感じだしてからは、特にそう思った。
胸の突起を嬲るだけで、喉を仰け反らして喘ぎ出す、感じやすい身体。
前と後ろを同時に責めれば、泣きながら早く、と催促された。その度に勘違いした。
終わる度に、俺の事が好きなのか、と聞いた。その度に期待した。
いつも答えは同じだった。嫌そうに顰められた眉。微かに横に振られる首。
胸が切り裂かれるようだった。
その痛みに次第に慣れ、大した期待をしなくなっても、聞かずにはいられなかった。
軽い笑顔の裏側で、いつも心は悲鳴を上げていた。

どうか、俺を好きだと言ってくれ。
冗談でも、戯れでも構わないから。それでいいから。
そんな風に、まっすぐ答えを返すのを止めてくれ。
こんな関係は嫌だと、まっすぐな態度で訴えるのは、止めてくれ。


「・・・・スコール?」
ゼルが不審気に俺を見ている。ハッと我に返った。
「・・・・何でもない。ちょっと考え事をしてた。」
そう答えてから、ゼルが自分から俺の名前を呼んだのは久しぶりだと気が付いた。
もっとちゃんと聞けばよかった、と後悔した。と、ゼルが俺の顔を覗き込んだ。
「スコール、大丈夫か?」
突然の不意打ちに、心臓が跳ねた。たちまち頭が混乱する。
どうしたんだろう。何か不自然だっただろうか。何かおかしな態度をとってしまっただろうか。
ちらりとでも、俺の本心を悟られるような素振りをしてしまったんだろうか。
しっかりしろ、と自分を必死で律した。ようやっと、平静な声を取り繕って尋ねた。
「・・・・・何が?」
「何がって・・・・」
ゼルが困ったように口篭もる。暫く躊躇った後、思い切ったように口を開いた。
「・・・・なぁ、今日はもう止めねぇか。お前、何かすごく辛そうだ。無理してこんな事・・・」
「無理じゃない。」
即座に反駁した。全身に冷や汗が吹き出た。
無理じゃない。辛くない。全然平気だ。もうこんな顔は見せない。
だから、止めるなんて言うな。
俺とのことを、こんな事、なんて吐き捨てるように言わないでくれ。

口の端に笑みを浮かべて尋ねる。
「俺のこと、心配なのか?気になるのか?」
あくまで、軽く、冗談っぽく。

「もしかして、お前ほんとに俺のこと好きなんじゃないか?」

ゼルがふい、と視線を下に逸らす。泣きたくなった。
また、馬鹿な期待をして。
ちょっと気遣われただけで、期待してしまう。愚かな質問を繰り返してしまう。
「冗談だ。そんな顔するな。」
また、冗談だと言い張る。そうするしかない。この重い空気を追い払うには、そうやって全てを茶化す
しかない。
強引に腕を取って、身体を引き寄せた。薄い皮膚で覆われた鎖骨を舌でなぞる。同時に手を下に
伸ばしてゼルの入り口を探った。そこはまだ柔らかく濡れて、熱を持っていた。
ぬるり、と指を差し入れると、ゼルがぶるりと身震いした。
「・・・・あ・・」
小さな吐息を漏らして、俺の肩をぎゅっとつかむ。その暖かな感触に、眩暈がした。
こんなに好きで、こんなに近くにいて。こんなに触れ合って。

それなのに。

細い首筋に顔を埋めた。もう、このまま泣いてしまいたかった。
どうか頼む。お願いだ。


どうか、俺を好きだと言ってくれ。

episode 1   END

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