プロポーズ
「だから、手、放せってば。」
小次郎がタケシの手を振り解こうと腕をぶんぶんと振っている。
「なーってば!」
どんなにいってもタケシは手を一向放す気配が無い。
「・・・・何で、手を放してくれないんだよ。」
小次郎が弱りきってタケシの眼を覗き込んだ。タケシがあっさりと言う。
「放すと、逃げるから。」

逃げるって・・・。
思わず小次郎がタケシを見る。
「逃げるって・・・だってお前がご馳走してくれるって言ったんじゃないか。金払えなんて言わ
れても、俺、持ってないぞ?」
森で仲間にはぐれてしまった小次郎を見つけたのはタケシだ。
見つけたというより,サトシとカスミが日用品を買いに森の外に行ってる間、タケシが食事の準
備をしてたら、その匂いにつられて小次郎がふらふらと吸い寄せられて来た、と言う方が正しい。
美味しそうな匂いにぐるぐるお腹を鳴らして寄ってきた小次郎にタケシが自分から「ご馳走して
やる」と言って食事をふるまったのだ。
だから、今更あれが有料なんて言われても困る。
小次郎がしどろもどろにその事を説明しても、タケシは何だか上の空で手をぎゅっと握り続けてる。
「・・・なあ。聞いてんのかよ、ジャリ。」
「指、細いなあ。」
タケシが感心したように言う。
「白くて、細くて、ちょっとひんやりしてて、すごく、気持ちいい。」
何言ってんだこのジャリ。
小次郎の困惑が一層深くなる。俺の指が細いのは生まれつき、いや生まれが良いからだ。
何しろロケット団に入るまでは、重い物なんて持った事も無かったんだからな。
つらつらと回想に入り始めたとき、指が急に生暖かい感触に包まれた。
「!なななな、何やってんだ、お前!?何で俺の指舐めるてんだ!?」
「え?」
タケシが小次郎の細い指を咥えながら顔を上げた。
「・・・・いや、どんな味がするかと思って。」
線みたいに細められた眼からは、その感情が伺い知れない。
地黒で、がっちりしてて、まだ子供のくせに、既に頬のラインが粗く削られたように逞しい。
何だか、怖くなってきた。
小次郎の背中にちらりと怯えが走る。いつも童顔の子供とキャンキャンうるさい女の子と
一緒にいるから、こいつもただのガキだと思ってたけど、浅黒い唇から真っ赤な舌を出して俺の
指を舐めるなんて、普通じゃない。ずっと手を放してくれないなんて、普通じゃない。
どうしよう。俺、怖くなってきた。

タケシはつくづくと小次郎の顔を眺めた。
前から、ずっと綺麗だと思ってた。水色の髪に緑の瞳。最初見た時、水の精みたいだと思った。
ロケット団なんて、変な泥棒組織に入ってて、俺たちのポケモン狙って。すぐ失敗して。
いつも、もう来てくれなかったらどうしようって思ってた。
あんなに綺麗なのに、もう見れなかったらどうしようって思ってた。
俺はよく、サトシに女好きってからかわれる。
確かに、綺麗な女の人を見ると心が温かくなる。頭がぽわーん、ってしちまう。
でも、こいつは違う。こいつを見ると心臓が痛くなる。ズキズキと心臓が痛くなって、泣き出し
たくなる。それは、綺麗な女の人を見た時には絶対無い痛みだ。
さっき、こいつが突然現れた時も、心臓がズキンと飛び上がりそうな位痛くなった。
森の中から、サラサラした水色の髪に緑の葉っぱをくっつけて、白くて細い指をふらふらと彷徨
わせて。
ぎゅって抱きしめたくなった。髪についた葉っぱをとって、白い額にキスしたくなった。
「・・・・腹、減ったあ〜。い〜匂いだなあ。」
「・・・・え?」
びっくりして声を出したら、向こうもぎょっとしたように俺を見た。
「あっ!お前、ジャリボーイの仲間か!?」
「タケシだ。」
名前を覚えてくれてないんで、ちょっとムッとした。
「うー、こんな所で敵に会うとは・・・!くそー、しかし今はそれどこじゃ無い。早く武蔵達を
探さなきゃ・・・」
行ってしまう。心臓が直接引っ叩かれたように痛んだ。
「・・・待てよ!飯、ご馳走してやるから、こっち戻ってこいよ!」
思わず、叫んだ。ご飯を食べ終わったら、またどっかに行こうと腰を浮かせたから、ハッと手を握った。
そうしたら、その手の感触があんまり気持ち良くって離すことが出来なくなった。

「いつまで、こうしてるつもりなんだよ。」
小次郎が伺うようにタケシを見た。じわじわ背中を登ってくる恐怖に語尾が微かに震えている。
畜生、こんなジャリ相手に何怖がってるんだ。俺は栄光あるロケット団の一員なのに!
「・・・う。」
喉が詰まって変な声が出る。
怖いよ。武蔵、ニャース。助けてくれよ。この不気味なガキから俺を助けてくれよ。
金持ちの箱入り息子で大事大事に育った小次郎には、不測の事態に対応する度胸も根性も無い。
緑色の瞳にうっすら涙が浮かぶ。
「何で泣くんだ。」
タケシが驚いて声を上げた。
「・・・っお前が、手放さないからだろ・・!」
しかも、指舐めたりするからだろうが。怖いんだよ、お前。小次郎が胸の中で叫ぶ。
タケシが呆れたような声を出した。
「お前、俺よりずっと年上だろー?何でそんな事で泣くんだよ。」
何て、弱い奴だ。
タケシが自分の強引な行動を省みずそう思う。
こんなに、かよわくていいのか。男なのに。
俺が、守ってあげたい。じゃなきゃ、危ない。こんなに綺麗なのに。
「・・・泣くなよ。」
「・・・もうっ、て、はなせっ・・てば。」
堪え切れなくなった緑の瞳から大粒の涙がぽとりと落ちる。
うう、情けない。俺、弱すぎ。小次郎が自分でもそう思った時、ふいに手を引き寄せられた。
「な・・・っ」
小次郎の顔が、タケシの浅黒い顔に近づく。
ぶつかる、と思った瞬間、唇に柔らかくて、暖かいものが押し付けられた。
「・・・・・!!!!!!!」
小次郎の頭が真っ白になる。

こ、こ、こ、こいつ、俺にキスしてる―――――――!!!!!

タケシが固まってる小次郎からそっと唇を離した。うっとりとした声で囁く。
「お前、唇まで小さくて、華奢なんだなあ。触っただけで溶けて無くなっちゃいそうだ。」
節くれ立った骨太の指がそっと唇をなぞる。
「も一回、してもいい?」

「ななななな、何言ってんだ!!!このエロガキ――――――!!!」
いかに弱くとも、子供相手にここまでされれば、さすがに切れる。
「馬鹿じゃねーのか!?俺、男だぞ!眼ぇ開けてよく見ろ!この変態小僧!!!」
「・・・知ってるよ。」
落ち着いた声に小次郎の恐怖がまた蘇る。こいつ、やっぱり普通じゃない。
「男だから、心配なんじゃないか。」
「・・・・え?」
「女なら、誰かが守ってくれる。でも、男はそうはいかない。」
「・・・?」
タケシが大きく息を吸う。
「俺が、守ってやる。俺がお前と結婚して、ずうっと守ってやる。」

何を言ってるのか理解出来ない。
小次郎がぼーっとタケシを見る。一体、このジャリ、何言ってるんだ?俺がお前と結婚?
「俺、早く大きくなる。早く大人になって、お前を守りに行く。」
いまだに放さない手をしっかりと握り締める。
「だから、待ってろ。それまで、他の誰とも、付き合うな。」

「待ってろって・・・・」
小次郎が呆然と繰返す。
「何で・・俺が・・男の俺が・・お前と・・お前みたいなジャリと結婚しなきゃならないんだ!」
ようやく思考力の戻ってきた小次郎が怒鳴る。
「好きだから。」
タケシが小次郎の眼を見ながら言う。
「俺、お前とずっと一緒にいたい。お前を守りたい。そしたら、結婚するしかないだろ?」
くら。
小次郎が眩暈をおこしてガクリと地面に片手をついた。なんだそれは。
「どうしたんだよ。大丈夫か?」
タケシの腕が崩れ落ちる小次郎の体を支える。
この腕。子供のくせに、もう俺と同じくらい、いや、それ以上の太さがある。手の大きさだって、
殆ど変わらない。これからが、成長期だってのにだ。見ろ、俺の手をがっしり掴んでるこの指の
太さを。俺の倍くらいありそうだ。
小次郎の脳裏に子供の頃じいやから聞かされた言葉が蘇る。
「坊ちゃま、手足の大きい子犬は大きくなりますよ。多分坊ちゃまよりも、大きくなりますよ。」
こいつはきっとそのタイプだ。あっと言う間に俺より大きくなるだろう。

そうしたら、どうしよう。
不安が胸に沸き起こる。
この、妙に落ち着いたガキがでっかくなって、本当に俺を攫いに来たら、どうしよう。
「ホント、綺麗な顔だなあ。すごく、綺麗だ。」
タケシが吸い込まれるように顔を近づける。いつも見上げてた顔が今は真下にある。
こうすると、益々綺麗だ。
早く大きくなりたい。長い腕ですっぽり包んで、こんな風に、この綺麗な顔を上から眺めたい。
「・・・俺。」
また小次郎が泣きそうな顔をする。タケシがその唇にそっと近づく。

「タケシ―――――。帰ったぞーっ。」
「小次郎――――――どこにいるのよ――――――!」

パッと弾けるように二人の体が一瞬離れた。
今だ!!
逃げるのだけは異常に得意な小次郎が脱兎の如く駆け出す。
自分を探す声の方角へ一目散に逃げていく。

行っちゃった。
タケシは小次郎の逃げた方向をじっと見た。
せっかくもう一度キスできそうだったのに。
あの薄桃色の、震える唇にキスできそうだったのに。
「タケシー。お待たせ。あー、腹減った。」
「今日、ご飯何〜?・・・って随分、少なくない?これで皆の分あるの?」
「うん。分けてあけたんだ。」
「誰に?」
お嫁さんに。タケシが心の中で呟く。
綺麗で、華奢で、泣き虫な、俺の未来のお嫁さんに。

「あーっ!小次郎にゃー!」
「もーっ!あんた、どこに行ってたのよ!」
「武蔵―!ニャースー!」
がばりと小次郎がニャースに飛びつく。そのままおいおいと泣き出した。
「何をそんなに、泣いてるにゃー?」
「あんたって、ほんとに弱虫ねえ。ちょっとはこの武蔵様を見習いなさいよ。」
「それは無理にゃー。小次郎は育ちが良すぎるにゃー。武蔵みたいにワイルドに育ったのとは訳
が違うにゃー。」
「そっかー。・・ってこら、ニャース!」
「痛いにゃー。」
何事も無かったように喧嘩を始める二人を見て、小次郎の胸にもだんだん自信が蘇ってくる。
そう、俺は世界の破壊を守るロケット団の一員だ!あんなジャリ一人にびびってる場合じゃない。
「もう、平気だ。行こう。」
「行こうって、何処に行くのよ。もう、夜じゃないの。」
「これから、ご飯だにゃー。」
ニャースが皆に乾パンを渡す。
相変わらずの粗食だ。小次郎はさっきタケシが作ってくれた食事を思い出した。
温かくて、美味しかった。何にも言わなくても、そっとお代わりをついでくれた。
結婚したら、毎日あんな食事なのかな・・・・。
「食べないの?」
ハッと小次郎が顔を上げる。何だ。今の想像は!?冗談じゃない!
「なら、もらうにゃー。」
ニャースがすかさず乾パンをもぎ取る。武蔵も止めない。殺伐とした食事風景だ。
でも、いいや。いくら食事が美味くても、あんなに怖い思いはもう沢山だ。

「あんた、顔、赤いわよ?」
つっこむ武蔵に、小次郎がぶんぶんと首を振った。
「た、焚き火の側にいるからだ。」

そうだ。焚き火の側にいるからだ。絶対そうだ。
俺の顔が赤いのは、焚き火の炎のせいなんだ。

                                   (終)

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