Go to hell!
スターヒルに向かって息せき走るサガの身の内で、もう一人のサガが興奮を抑えきれず
喝采する。
いいぞ。走れ。走るのだ。あの老いぼれの、息の根を止めてやれ。

もはや、自分達を止める者は無い。
たった一人、この謀の真実に気付くだろう者は、既に海の藻屑と消え去った。
その時の事を思うと、今でも込み上げる笑いを抑えきれない。
あれはなんと傑作だった事か。あの弟を始末したのは、自分では無い。
たった一人、この自分の存在を察していた男。同じ時、同じ女の胎から生まれた我等の
双子の弟。
己の分身とも言うべきあの弟を殺したのは、何とこのお綺麗な方のサガなのだ。

カノン。
兄と同等の能力を持ちながら、その同等さ故に聖域に忌まれ、力と存在を秘され続けた
不遇の弟。
お前はけっして、気付かなかったろう。
この「私」に気付いた時、あれがどんな顔をしたか。
教えてやろうか。
闇に潜む唇が可笑しさを堪え切れないように歪む。あれはな。あいつはな。


あれは、ひどく嬉しげに笑ったのだ。


可能なら、声を立てて笑っただろう。
何と哀れな弟だろう!
再び、お前と共に歩けると思ったのだ。聖域に二人揃って歩く自由を奪われる以前の、
幼い日々にまた戻れると思ったのだ。

兄さんも、自分と同じく不満なのだと。
皆に祝福され、神のごとき光の道を進んでいるはずのお前が、実は腹の底に自分と同じ
薄暗い野望を抱えているのだと、希望が胸に湧いたのだ。
共に力を合わせ、共に並んで世界を手に入れられると思ったのだ。
その希望を口にした途端、お前に捨てられるとも知らずに。

分かっているとも。
お前は許せなかったのだろう?そんな汚れた希望を、他ならぬ己の弟が抱いている事を。
良く分かるとも。その容赦無い潔癖さ故に、この私がお前から別たれたのだから。

くつくつと喉が引き攣る。
笑えるのは、そのようにあっさりと弟を投げ捨てて置きながら、お前が「もしや」と
思っていた事だ。
もしかしたら、今夜にでもカノンがこの双児宮に現れるのではないか。何時も通り人目を
避け、こっそり闇に紛れて現れるのでは無いか。
そして、自分にこう言うのでは無いか。

兄さん、俺が悪かった。
女神を殺そうなど。俺はどうかしていたのだ。悔悛した俺を、女神はお許し下さった。
こうしてお許しを頂いたからには、俺はもう悪には染まらぬ。これからは、俺も双子座の
影として、立派に兄さんと共に闘おう。

眼に悔恨の情を浮かべ、そう言うのではないか。
そんな馬鹿げた、都合のいい万が一を本気で夢想していたのだ。
お前は己で弟の命を投げ捨てて置きながら、一方でその弟に慕われ、その肩を抱いて
やりたいと願っていたのだ。
全く、呆れた「神のような男」ではないか。


サガの息が段々荒くなるのを、身の内から感じる。超人的な体力を誇る黄金聖闘士が、
この程度の山道で息を切らす訳が無い。つまりは、こいつも興奮しているのだ。
もう一人のサガが、また喝采して囃したてる。
そうとも。許せぬのよな。許せる訳が無いとも。
お前はやはり許せなかったのだろう?カノンをその手で岩牢に閉じ込めた時のように。
あの爺いの、とんでもない眼の曇りぶりが。

今日、次期教皇に選ばれたお前と同年のアイオロス。
明るく朗らかで、皆に英雄として慕われて。
だが、それだけだ。
あの男が何をした。ただ楽しげに毎日を過ごしているだけで。
隠される事の無い、年の離れた弟には傍目にも分かる程はっきりと慕われて。
お前は神の如く神聖でありたいと、必死で自らを律してきたのに。
僅かな汚れも許されぬと、唯一の弟すらその手で始末したのに。
お前は悔しくて堪らないのだろう?
どうして自分を認めてくれぬのか。
自分だって、選ばれるにふさわしいはずではないか。
お前の弟は十五年間、その問いに耐え続けたが、お前はたった一日だって耐える事が
出来ぬのだ。


お前はスターヒルで、老いぼれ教皇にこう問うつもりなのだろう?
「どうして、私が選ばれなかったのですか?」と。
その時こそ、私が貴様にとって代わる時。
どんな理由を挙げようが、貴様は納得出来ぬのだ。心の内から湧き上がる妬みを認めず、
負の感情を全て私に寄こすのだ。そんな事を繰り返しているうちに、この私の力が
どんどん強大になっている事も分からずに。
すでにもう、あとひと押しで貴様に取って変われる程、強くなっている事も知らずに。


『お前の本性こそ、悪なのだ!』


赤い眼が小さく瞬く。
カノン。お前は、俺もサガの本性なのだと言っていたな。岩牢に閉じ込められながら、
必死でこいつにそう叫んでいたな。
血の様に赤い眼が、くっと笑う。
馬鹿な奴だ。
あれが、私を消し去る最後のチャンスだったのに。
あの時、お前はあの言葉を拾い上げて己に問うべきだったのだ。



ああ。待ち切れぬ。
小奇麗な理想ばかり口にするこの男に替わり、現実の「力」で聖域を牛耳る時が来るのだ。
闇の混沌から生まれたこの私が、ついに現実の「サガ」となってこの聖域を支配するのだ。


走れ。走れ。走るのだ。あの老いぼれを殺る為に。私が貴様に取って変わる為に。
藍色の髪を靡かせ、息を切らし、貴様自身の破滅へと走るのだ。











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