シグナル  4





「・・・・あなたが、何故この人を殺したいのか分かりません。」
カカシをしっかりと抱き締めながら、イルカが緊張に張り詰めた声で言う。
「俺はその理由を知りません。知りたいとも思いません。ですが、この人は今、里の為に死にかけて
いるんです。・・・・俺達が、この人をこんな目に合わせました。俺には今、この人を守る義務があります。」
昂然と私を見上げ、きっぱりと強い口調で言い切る。
「あなたに今、この人は殺させません。この人は俺が守ります。この人を殺すなら、俺を殺してからに
して下さい。」
強い光を湛えた瞳が、真っ直ぐに私を見据える。
「・・・・貴方は上忍です。本気でやれば、俺は敵わないでしょう。ですが、お願いです。どうか、俺の頼みを
聞いてください。貴方も木の葉の忍の一人なら、俺の願いを聞いて下さい。」
掻き口説くような声が、必死に私に語り掛ける。
「今すぐ、その殺気を収めて下さい。この人の身体は今、そんな殺気に耐えられません。だから、どうか
その殺気を収めて下さい。どうか、そのクナイをしまって下さい。お願いです。どうか・・・」
腕に深くカカシを抱き寄せ、真摯な声で訴える。
「この人の命を、最後まで俺に守らせて下さい。」





どうして。



どうして、貴方が。


どうして貴方が、そんな事を。





クナイを持つ手が我知らず震えた。
違う、と叫出しそうになった。
どうして。どうして貴方が。どうして、そんな事を。


私はただ、貴方を救いたいだけなのに。


あの獣の張った罠から、貴方を救いたいだけなのに。
あの卑劣な男から、貴方を助け出したいだけなのに。
貴方を傷つけ惑わせる、あの銀の刃を消し去りたいだけなのに。


なのに、どうして。

どうして、私をそんな眼で見る。
そんな警戒に満ちた眼で。危険な獣を見るような、固く冷たい眼差しで。
無慈悲な敵を見るように、身を強張らせて私を睨む。
どうして、カカシを抱き寄せる。
死を誓い合った恋人達のように、自分を先に殺せと言う。
誰にも渡せぬ愛しい半身のように、私からカカシを守ろうとする。


殺気がまた大きく膨れ上がる。
際限なく膨れていく殺気に、壁に張り付いて震えていた店主が、ひぃ、と泡を吹いて崩れ落ちていく。
その店主を救う事も出来ず、下級の忍達が脂汗をかきながら次々に蹲っていく。そんな惨めな集団に
目もくれず、イルカの腕の中の男を睨み続けた。



突き刺さすような私の視線に、カカシがふっと眼を開く。
いかにも辛そうに首を横に捻り、弱々しく濁った半眼でゆっくりと私の姿を眺める。
突然、その頬が小さく歪んだ。
イルカの背後に廻した左手を、微かに動かして私に見せる。思わず息を呑んだ。
その指のそれぞれの狭間には、何時の間にか銀の針が挟まれていた。
先端を濡れたように輝かせた、光る銀の毒針が。


愕然とした。
何時の間に。何時の間に、あの針を。
カカシがイルカに気付かれぬよう、静かに手首を返す。細い針の先端が、明らかな牽制を込めて私の
喉に照準を合わせる。息を呑んで喉元を手で隠した
私の怖じけた態度に、蒼い瞳がにぃと弓形に細められる。
白い唇が、私だけに判るように微かに蠢く。




きたら、ころすよ。












はたけカカシは、錆びていない。






分かっていた。
そんな事は、分かっていた。

はたけカカシは、錆びていない。
そんな事は、初めてカカシとすれ違った瞬間から、分かっていたのに。

後悔に歯噛みしたくなった。
立ち竦む暇など無かった。
殺すと決めた瞬間、即座にこの男を殺してしまうべきだったのだ。
一瞬の間も置かず、この男の身体にクナイを突き刺すべきだったのだ。



だってこの男は、気付いてた。



この男は気付いてた。
私の気持ちに、気付いていた。
この店に入った瞬間から。イルカを責め立てる私を見た瞬間から。
いや。違う。
きっと、もっと前から。
あの日、倉庫ですれ違った時から。お互いを、戦地の刃と認識したあの瞬間から。
あの時からきっと、カカシは私がイルカに惹かれる事が分かってた。

だから、悟ったのだ。
裏切りで囲まれた敵を一掃した時に。その敵に、深い傷を負わされた時に。


これが、最後のチャンスだと。


この男は、これが最後のチャンスだと分かったのだ。
この機会を逃せば、イルカは奪い去られてしまうと。
甘く柔らかい女の肉に、イルカは絡め取られてしまうと。
探し回るに決まってる。全身の血を全て失おうと、イルカを求めて彷徨うに決まってる。
一分でも、一秒でも早くと、探し求めるに決まっている。
カカシはこの最後のチャンスを、命と引き換えてでも生かすつもりだったのだ。


そして、今。

そして今、イルカの腕に抱かれたからには。
その暖かい腕に、愛しい恋人のように抱かれたからには。
この男はもう、その腕を死んでも離さないに決まってる。死に物狂いで、しがみ付くに決まってる。
他の誰にも、その場所を明け渡さないに決まってる。



「・・・・かっこいいねぇ、せんせい・・・・」

銀の針を指に挟んだまま、カカシがうっとりと囁く。
「・・・せんせい、おれを守ってくれるの。すごいねぇ。おれ、久々に聞いたよ。おれのこと、守るって。」
ほんと、大した中忍だねぇ、と銀色の男が嬉しくて堪らないように小さく笑う。
「ほんと、かっこいいよねぇ。ねぇ、もっと言ってよ。もっとそれ、聞かせてよ。」
掠れた声で強請りながら、じゃれるようにイルカの首筋に唇を寄せる。
そのまま躊躇いもなく口付けるカカシに、イルカが静かに首を捻る。ゆっくりとカカシの耳に唇を寄せ、
悪戯な恋人を嗜めるように低い声で囁く。

「黙って。」



カカシの唇が恍惚と綻ぶ。
「・・・・うん・・・」
滴るような従順さで口を噤むカカシに、イルカがホッと安堵の溜息をつく。そしてまた、私を厳しい
警戒の眼で見つめ直す。そんなイルカに、カカシが一層幸せそうに唇を綻ばせる。そのまま、
甘えるようにイルカの胸に自分の頬をうっとりと押し付ける。
その睦まじい姿を見た途端、頭の中が真っ白になった。



引き返せない。


白く滾る思考に、頭の中が埋め尽くされていく。
引き返せない。引き返すことなど出来ない。
イルカを諦めてしまうなど。この道を引き返すなど。
そんな事はもう、絶対に出来ない。


見なければまだ、諦めがついた。
イルカの拒絶しか知らぬ、さっきまでなら。その侮蔑の言葉しか知らぬ、さっきまでなら。
それならまだ、引き返せた。
所詮は交わらぬ道だと、諦める事ができた。
切り裂くことしか知らぬ刃には、過ぎた願いだったと諦められた。

けれどもう、見てしまった。

あの血塗られた身体を、迷うことなく抱きしめたあの姿を。
優しくカカシを嗜める、あの低い声を聞いてしまった。
イルカが欲しい。イルカを諦める事など出来ない。
たとえ、あの銀の毒針が私を狙い定めているとしても。


「・・・んせい・・・さむい・・・」

さっきよりも一段と青ざめたカカシが、切れ切れに訴える。もう少しです、血を入れれば暖かくなります、と
イルカが私から視線を外さぬまま、宥めるようにカカシの白い頬を撫ぜる。でも寒い、と傲慢な子供のように
言い返すカカシに、イルカがその傷に触らぬよう、優しく銀色の頭を抱き寄せる。妬ましさに心臓が
引き千切られそうになった。


悔しい。
殺してやりたい。私にはあの男の先が分かる。あの男の命が助かった先が。
あの男が、蕩けるように甘くイルカに擦り寄る様が。
あんたは命の恩人だもの、と打って変わったしおらしさでイルカを口説くその様が。
それにイルカが戸惑う様が。戸惑いながら、カカシに流されていく様が。
一度懐にいれたカカシを拒みきれずに、ついにその身に受け入れてしまう様が。



怒りと殺意に目の前が眩む。
何も考える事が出来ない。白く塗りつぶされた思考の片隅で、狂ったように鳴り続ける警報の音がする。
シグナル。危険を叫ぶシグナル。
ああ。そうだ。そうだったのだ。
今、やっと気付いた。イルカにシグナルは必要ない。イルカはシグナルを必要としない。
イルカは、シグナルそのものだからだ。
私の嗅覚を潰し、抑えきれない殺気に私の居場所を暴き出す、危険なシグナルそのものだからだ。




シグナルが私に誘いかける。
このシグナルの先に見える、あの存在が欲しくないかと。
この赤く叫ぶ警報を無視すれば、欲しい物が手に入ると。



シグナルが私を押し止める。
あの銀の刃を見ろと。あの研ぎ澄まされた、冷たく光る銀の刃を。
あれが狙う先は、お前の首だと。
あの刃は、このシグナルを無視した途端、お前の首を掻き切るのだと。



シグナルが叫び続ける。
狂ったように叫び続ける。
けれどもう、私にはその意味が分からない。その警報の大きさに、全てが掻き消されていく。
叫び続ける二つのサイレン。誘惑と拒絶を同時に叫ぶ、狂ったサイレン。



危険なシグナル。行く事も、引き返すことも許されない。
私にできるのは、ただこの場に留まる事だけ。
シグナルの向こう側で抱きあう、あの二人を見ている事だけ。
黒と銀に彩られた、あの二人を。
分ち難い運命に結ばれたように抱きあう、あの二人を見ている事だけ。











(END)
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