冷たい指 (episode 2)


スコールが分からない。

ゼルが深い溜息をつきながら思う。
夏の空は色が濃い。ガーデンの屋上に寝転がって見上げる空は、深く青く澄み切っている。
それがまた、スコールを思い出させる。スコールの、深く澄んだ蒼い瞳を。
ゼルがもう一度、大きな溜息をつく。
本当に分からない。どうして、こんな事になっちまったんだろう。
楽しかった自分の誕生パーティ。あれが最後だった。寡黙で、無愛想で、でも本当は優しいスコール。
あれがそんなスコールの、最後の姿だった。

あの時、薦められるままに酒を飲んだ。大人っぽいスコールやアーヴィンに負けないと、子供じみた
対抗意識もあったのかもしれない。とにかく、随分飲んだ。それからの記憶は全く無い。
朝、眼が覚めると、自分の部屋のベッドで寝ていた。
スコールと裸で抱き合いながら。

何がなんだか分からなかった。
スコールは何も言わずに自分の顔を眺めてるだけだし、下半身はズキズキと痺れるように痛む。
まさか、そんな。そんな事ありっこない。俺は女の子じゃないんだから。
自分に言い聞かせながら思いきって毛布を捲れば、下半身は酷い有様だった。白い内股にこびり付く
半透明の液体と垂れた血の跡が、眩暈がするほど無残なコントラストを作っていた。
スコールが?スコールが俺を?どうして?どうしてスコールがこんな事を?
混乱する頭が、馬鹿のように繰り返す。
その時、スコールが自分に触れようとした。思わずビクリと身を引いた。
スコールが怖かった。下半身の痛みが怖かった。血の跡が怖かった。
何が起こったか知るのが怖かった。
すると、突然スコールに手首を掴まれた。そのままベッドに押し付けられた。
そして、信じられないセリフが頭上から降ってきた。

お前が誘ったんだ。

あの時はもう、混乱の極みだった。嘘だ、と言い返しても人形のように整った顔は微動だにしないし、
それどころか平然と肩に食い込む爪の跡を証拠として見せてきた。
ほら、お前がよがってつけた跡だ、と。
信じられなかった。俺がスコールを誘った?男どころか、女とやった事も無いのに?
でも確かに、自分の爪先には僅かに血がこびり付いていた。この血はきっと、あの爪痕から漏れたものだ。
大体、あんな傷を、スコールが一人で作るのは不可能だ。俺が自分から縋りつかなくては無理だ。
あの逞しい肩を、自ら強く掻き抱かなければ、不可能だ。
あまりの衝撃に、全身から力が抜けていく。

じゃあ本当に、スコールの言ってる事は正しいのか?
俺が、スコールを誘ったのか?

強く言い返せなかったのは、爪痕のせいだけじゃない。
自分でも、思い当たる節が無くもなかったからだ。
初めてスコールを見た時、何て綺麗な男だろうと思った。男でも女でも、あんな綺麗な顔をした奴は
見たことがないと思った。しかも綺麗なだけじゃない。身体も鍛えぬかれてる。
あんまり綺麗で、かっこよくて、時々思わず見惚れていた。憧れていた。
別に変な意味じゃない。純粋に綺麗だと思っただけだ。純粋に憧れていただけだ。

でも、違ったんだろうか。

本当は変な意味だったんだろうか。奥底では、そう思ってたんだろうか。
それが酒の力で、表に出てきたんだろうか。
そんな事、とても信じられない。だけど、そうだったんだろうか。

そんな思いがあったものだから、強く反論出来なかったのだ。そうしたら、黙り込む自分に、スコールが
更に仰天する提案をしてきた。
「また、やろう」と言って来たのだ。
ショックで気絶するんじゃないかと思った。
思わずスコールの顔を見上げて、息を呑んだ。
そこにはいつもの、寡黙で落ち着いた友人はいなかった。その代わり、整った美貌に、凄絶な微笑を
浮かべた男がいた。引き摺り込まれるような妖艶な色気を漂わせて、自分を見つめる男が。
その蒼い眼を見返した時、全身から一気に血の気が引いた。
それは、友達を見る眼じゃ無かった。
飢えた捕食者が、獲物を見る眼だった。

現実とは思えなかった。唇が凍りついて、悲鳴すら出せなかった。
恐怖に冷えきった唇を静かに撫ぜながら、低い声がぞっとするほど優しく囁く。
誘ったのは、お前だ、と。
あの瞬間から、自分は友達から獲物へと成り下がったのだ。あの男の、欲望を満たす獲物へと。

もっと休んでいけ、と自分を押さえつけようとするスコールの手を何とか振り解いて、夢遊病のように
ふらふらと部屋に戻った。頭の中は恐怖と疑問で一杯だった。
あの欲望を露に自分を見つめていた男。あれは本当にスコールなのか?本当にスコールは、俺とそんな事を
したいのか?俺を性欲の捌け口なんかに使いたいのか?
そして、俺はスコールとそんな事をしたかったのか?

それでも、時間が経つにつれ、混乱しまくってた頭は次第に落ち着いてきた。
やっぱりどうしても納得できなかった。自分がスコールを誘ったという事が。
どうしても、自分がスコールに抱いてた憧れが、性欲を含んでいたとは思えなかった。
だから、それから三日後、本当に「今晩、やろう」と淫らな声で誘われた時、驚きはしたが、逆に
いい機会だと思った。はっきり断ろうと思った。たとえ自分から誘ったとしても、もうそんなつもりは
無いと言うつもりだった。

スコールの部屋に入る前までは、確かにそう思っていた。椅子から立ち上がったスコールが、ゆっくりと
優雅な微笑みを浮かべて近づいて来た時も、まだそう思っていた。
だけど、長い指がそっと頬に触れた瞬間、身震いが走った。思わず眉を顰めた。
ハッと顔を上げて、スコールの顔を見た。そして益々混乱した。
ゆったりと余裕に満ちた、落ち着いた表情。動揺一つ見られない、静かな瞳。

それなのに。

それなのに、その指先は震えていた。
血の気の引いた指は緊張に冷え切って、うっすらと冷たい汗まで滲んでいた。


ぞっと背筋が寒気が走った。あまりに似ていたからだ。スコールの指が。
心臓病を患って亡くなった、祖父の指に。

物心ついてからずっと、祖父は心臓が悪かった。いつも小壜に薬を詰めて、ポケットに入れていた。
昔は豪胆で鳴らした軍人だった祖父は、そこらの若者より、ずっと逞しい体型をしていた。
その祖父が、一度発作を起こすと、手もなく苦痛にのた打ち回った。ゼイゼイと弱々しげに背中を
丸めながら、必死で小壜を探っていた。子供だった自分は、その度驚愕と恐怖で一杯になった。
じいちゃん、苦しいのか、苦しいのか、と泣きながら祖父の大きな手を掴んだ。その時の祖父の指と、
今のスコールの指はそっくりだった。
心臓を切り刻まれるような苦しみに喘いでいた、祖父の指と。

オロオロと、冷たく震える指を握り締めてるゼルに、祖父は言った。
大丈夫だ。このまま静かに、落ち着いていれば直る、と。
ほんとに?ほんとに直る?と涙ぐみながら聞くと、祖父は大げさに胸を撫で下ろしながら笑って言った。

「ゼルがそうやって、じいちゃんの手を握っていてくれりゃ直ぐ治る。だから、手を握ってくれるか?」

それを聞いた自分は、大いに張り切った。大好きなじいちゃんの、役に立ちたかった。
発作が始まると、飛んでいって手を握った。発作の回数がどんどん多くなり、最後の大きな発作が、
ついに祖父の心臓を止めてしまうまで、ずっと忠実に、その役目を果たしていた。

スコールはあの時のじいちゃんのようだ。そう思った。
理由は分からないが、スコールは何か強い緊張を強いられている。強い苦痛に耐えている。
祖父の言葉を思い出した。じいちゃんは、このまま静かに、落ち着いていれば直る、と言っていた。
だから、何も言えなくなってしまった。身動きさえ、取れなくなってしまった。
冷たい汗に濡れる、震える指先。
今スコールの手を弾いたら、スコールは壊れてしまうのではないかと思った。
じいちゃんの、壊れた心臓みたいに。

息を詰めてスコールのキスを受け入れた。スコールを動揺させないように。
怖くなかったと言えば嘘になる。だけど、それ以上にスコールの指の冷たさが怖かった。
冷たい指をした祖父。ある日とうとう死んでしまった。自分の前からいなくなってしまった。
その祖父と、同じ指をしたスコール。

スコールが余裕のある表情を浮かべていただけに、一層怖かった。
スコールの中で、何かが壊れてるのではないかと思った。
だから、待とうと思った。
この指が暖かくなって、指先の震えが治まるまで。スコールが落ち着くまで。それまで待とうと思った。
昔ずっと、じいちゃんの手を握り締めていたように。
そうして、スコールが落ち着いたら、ちゃんと話そうと思った。それまで耐えようと思った。
それまで、スコールの望む通り、性欲の解消道具になろう。
それが、スコールを誘った自分の責任なのだ。そう思った。
大事な友達を、残酷な捕食者に変えてしまったのは、俺なんだ。
だから、いつかまた、友達になれる日まで、俺は耐えなければならないのだ。

次第に強くなる腕の力に包まれながら、ゼルは長い溜息をついた。
この指が暖まるまで。指先の震えが治まるまで。
繰り返し思いながら瞼を閉じた。スコールの舌を受け入れた。


だけど、やっぱりあの時、断るべきだったのかもしれない。
最近、強く思う。スコールが、どんどん分からなくなっていく。
待っていればそのうち落ち着くと思ったのに、指は一向暖かくならなかった。
自分に触れようとするその指は、いつでも冷たく震えていた。ひやりとしたその感触に、いつも
眉を顰めてしまった。落胆に眼を伏せてしまった。
お互い裸になって、体を絡ませ合って、それでやっと、暖まる指。安堵の溜息と共に治まる震え。
どうしてなんだと、問い詰めたかった。

どうしてそんなに、緊張してるんだ。張りつめてるんだ。
何がお前をそんなに追い詰めているんだ。

そうできなかったのは、スコールが答えてくれないと分かっていたからだ。
馬鹿にしたような笑みを浮かべて、人を困らすような事ばかり言う。
真剣に話そうとすると、まるで聞くのを恐れるように邪険に話を遮る。
自分の言う事を、何一つまともに取るつもりは無いのは明白だった。二言目には、俺の事が好きなのか、
と乾いた笑みを浮かべて、からかうように聞く。その度に不快になった。やるせなくなった。
スコールの言いたい事が分かるような気がするからだ。スコールはきっとこう言いたいのだ。

お前と話す必要なんか無い。お前は俺を誘うような男なんだから。
腰を振って受け入れるような男なんだから。女のように、俺と寝たがる男なんだから。
女のように、俺を好きな男なんだから。

やりきれないのは、それがある意味、真実だからだ。
俺はあっという間にスコールとのセックスに溺れてしまった。スコールに抱かれて、感じるようになってしまった。
あの柔らかい舌に舐められると、全身が蕩けてしまう。恥ずかしいくらい喘いでしまう。
スコールは、執拗に俺に声を出させようとする。ねだる言葉を言わせようとする。
そうしなくては、いかせてもらえない。そうするまでは、俺を責め続ける。
「スコ・・ル、も、入れて・・あ・もう・・っや・・・っ」
いやらしく腰を揺らめかせて誘う自分の声。俺が欲しいか、と指先で焦らしながら掠れた声で聞くスコール。
欲しい、と涙を浮かべて頼む自分。歓喜してスコールのモノを受け入れる身体。
どこにプライドがある。この堕落した身体に。この浅ましいねだり声に。
どうしてこれで、スコールの信頼を得られる。スコールが俺に悩みを打ち明ける。
スコールの乾いた薄笑いは、馬鹿にしたような態度は、あれは当然の結果なのだ。

この間だってそうだ。
スコールはキスをした後、突然動きを止めた。ふとその顔を覗き込んで、驚いた。
苦しげに寄せられた眉。苦痛に耐えるように伏せられた瞼。
あんまり辛そうで、見ていられなかった。思わず大丈夫かと聞いた。初めてもう止めようと提案した。
だけど、すぐ拒否された。それも、最後まで言い切る事も出来ないくらい素早く。
そしていつもの、馬鹿にしたような問い。「俺のことが好きなのか。」だ。
怒鳴りつけそうになった。下を向いて眼を逸らして、やっと怒りをやり過ごした。
どうしてそこまで、自分の言葉を蔑ろにしたいのかと思った。
そんなに俺を軽蔑してるのか、と思った。女みたいに喘いで、お前に抱かれてる俺を軽蔑してるのか、
と思った。

抱き寄せられて、ぎょっとした。指先どころか、全身が冷たい。冷えた汗に全身覆われている。
触れ合う胸から伝わる心音は、暴走するように激しく鼓動していた。
本当に、どこか悪いんじゃないかと思った。この冷たさは普通じゃない。
それでも、自分にはどうする事もできない。スコールは俺の言うことなんか、聞こうとしない。


『ゼルがそうやって、じいちゃんの手を握っていてくれりゃ直ぐ治る。だから、手を握ってくれるか?』


空を眺めてるうちに、涙が出そうになった。
じいちゃん、駄目なんだ。
ずっとスコールの手を暖めてるけど、駄目なんだ。治んないんだ。
スコールの手が、冷たいままなんだ。
スコールは、俺じゃ駄目なんだ。俺の手なんか、いらないんだ。
考えていると、本当に涙が溢れてきた。慌てて目元を拭った。

もういっそ、言ってやろうか。
あの小馬鹿にしたような笑みを浮かべる男の襟首を掴んで、怒鳴ってやろうか。

そうだ、お前の事が好きだ。だからその指がそんなに冷たい訳を言え。それだけでも、俺に教えろ。
その位の、情けをかけろ。

そう言ってやろうか。そうしたら、あの男はどうするだろう。やっぱり馬鹿にしたように笑うだろうか。
下らない冗談でも聞いたように、肩を竦めて苦笑いするだろうか。いつものように。

どうしてこんな事になってしまったんだろう。
以前は違った。
スコールは無口で、無愛想だったけれど、自分の言う事には、ちゃんと耳を傾けてくれた。
語られる言葉は少なかったけれど、その言葉には意味があった。
だけど、今は。
以前とは比べ物にならないくらい饒舌で、陽気だけど、そこには全く意味がない。
振りまかれる笑顔は、ざらついて乾ききってる。
どうしてあんなに変わってしまったんだろう。スコールが、どんどん分からなくなっていく。
俺から遠くなっていく。

拭っても拭っても、涙は次々溢れて来た。
どうして俺は、スコールを、誘ったりしたんだろう。
そんな事をしなければ、悩みを打ち明けて貰えたかもしれないのに。
あの優しい男を失う事は、無かったのに。

白く乾いたコンクリートに、涙がボタボタと落ちていく。夏の太陽に暖められたコンクリートは
涙をあっと言う間に蒸発させていった。
その熱い床の上で、声を上げて泣いた。子供のように、息を切らせて泣き続けた。


スコール。お前、知らないだろう。

こんなにも、俺が悲しんでいることを。

こんなにも、お前の冷たい指先を、悲しく思っていることを。


episode 2   END


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