指 輪 物 語 (3)

サイファーがガーデンから姿を消して三日後、ゼルの部屋に雷神と風神が見舞いに来た。
あの時はすまなかったもんよ、と大きな身体を丸めて雷神が謝る。
「?何が?」
風神が細い溜息をついた。
「指輪、川、落。我、後悔。」
「風神は指輪を投げるのを止められなくて、後悔してるもんよ。俺も後悔してるもんよ。」
しょんぼりと俯く二人に、ゼルは慌てて身体を起こした。
「全然、気にしてねーってば!悪いのは全部サイファーだ。お前らは全然悪くない!!」
サイファーの名前に、二人が顔を見合わせる。瞳がうろうろと迷っている。
「・・・二人共、どうしたんだ?」


意味分んねえよ。
ゼルは溜息をついて目の前の渓流を眺めた。
この間までとはうって変わって、カラリと晴れた青空に、水面がキラキラと輝いている。
その川の中で、大男がしゃがんで水底を攫っている。短く刈った金髪が遠目に見える。
サイファー。
ゼルはもう一度、溜息をついた。

サイファーがこの川で指輪を探してると教えてくれたのは、雷神と風神だった。
もう三日も、こんな事をしてるのだと教えてくれた。朝から晩まで川底を攫っている。
門限をはるかに過ぎて、こっそり部屋に戻っているせいで、既に失踪説まで流れてる。
二人は真面目な顔をして言った。
もし、本当にサイファーが水底から指輪を探し出したら。
サイファーを、許してやってくれないか。
もう一度だけ、サイファーを許してやってくれないか。

ほんとに分らねえ。あいつの考えてる事が。
ゼルは一心不乱に川底を探っているサイファーを眺めた。
自分で指輪を投げておいて、必死に探してる。この間まで川に浸かっていたゼルには、
今サイファーの感じてる水の冷たさがよく分かる。きっと氷の様に冷たいに違いない。
不可解な事は、まだある。
サイファーは自分が指導官に戻るまで、待ってると言ったらしい。
ゼルはスコールの言葉を思い出した。スコールは、これは俺の予感だが、と前置きして言った。
「サイファーがお前のカリキュラムをすっぽかす事は、もう無いと思う。」

サイファーがずっと部屋の前に座り込んでいたと聞いた時、ゼルは本当に驚いた。
道理で外に出る度、サイファーがいると思った。
熱で朦朧としてたので良く覚えてないが、手を弾いて突き飛ばしたのは、十回やそこらでは
効かないだろう。二、三十回はそうしたんじゃないだろうか。
その時は何でいつもいるんだとか、考えてる余裕が無かった。
余裕が出来た時はもう、サイファーはここに来てたから、気付かなかった。

それに、パンも持って来たらしい。シュウ先輩に止められて持ち帰ったらしいが。
キスティスが、自分は口止めされなかったから、と言って教えてくれたのだ。
サイファーは絶対に自分の名前を出すなと言ったけど、と優しい声で教えてくれたのだ。

あんな非道い事をした男が、何でこんな事をするんだ。全然行動が噛合わない。
止めろ、と声をかけようにも、三日も探された後では、何だか今更な気がする。
どうしたらいいか分からず、ゼルは困惑したまま岩陰からサイファーの様子を窺っていた。

あれ?

ゼルがふと顔を上げた。川の中で何か光った気がする。石と石が重なる隙間に、何か銀色に反射
するものがある。ゼルはそろそろと川岸に近づいていった。

水の中に、確かに光るものがある。腕だけでは届きそうにない位置だ。ゼルは少し躊躇した。
まだ身体が本調子じゃない。今だって、外出禁止のところを内緒で抜け出してきたのだ。
だけど、もしあれが指輪だったら、そんな事は言ってられない。
思い切って、水の中に足を突っ込んだ。

水はやっぱり冷たかった。太陽が照ってるせいで、前よりはましだが、それでも充分に冷たい。
二の腕まで水に浸して川底を探った。銀色の物体を引き釣り出す。
なあんだ。
思わず落胆の溜息が出た。ガムの包み紙だ。ちぇっと唇を尖らせて、銀紙を握り締める。
その時、ゼルが足をかけていた石が急に崩れた。全身のバランスが横に大きく崩れる。
うわ・・!
思わず眼を瞑った。川底に叩きつけられる、と覚悟した。

その瞬間、暖かい腕が全身を包んだ。倒れていく体をしっかり抱いて、そのままくるりと上向き
に反転させる。派手な水音が周囲に響いた。
ゼルは恐る恐る眼を開けた。
サイファーが、そこにいた。自分を上向きに抱えたまま、川底に片手をついたサイファーが。
ゼルが青い瞳を大きく開く。自分が全く濡れていないのに気が付いた。
サイファーが見を挺して、冷たい水から自分を守った事に気が付いた。

間に合った。
安堵の余り、全身から力が抜ける。腕の中でぽかんと呆気に取られてる小さな身体は、少しも
濡れてない。
さっき、ふと腰を上げたサイファーは思わずぎょっとした。
ゼルが川岸に立っている。
どうして、ここに?まだ、良くなったばっかじゃねえか。まだ、外出なんか無理なはずだ。
焦るサイファーの前で、更に焦る出来事が起こった。
ゼルが水の中に入っていったのだ。
馬鹿。止めろ。
叫び出しそうになった。何を考えてんだ、あいつ。また指輪を探すつもりか。
急いでゼルのいる場所に向かった。引き摺ってでも、川から出すつもりだった。
やっと近くまでたどり着いたその時、ゼルの身体が大きく揺らいだ。
心臓が、止まりそうになった。
砂利を蹴り上げて走りだした。倒れる体が、スローモーションのように眼に焼き付く。
精一杯腕を伸ばした。腕にずしりとゼルの身体を感じた瞬間、身体を反転させた。
自分が濡れる事など、何とも思わなかった。この腕の中の存在さえ守れれば、それでよかった。

「サイファー・・・」
ゼルが呆然と呟く。サイファーの胸に、ズキリと激しい痛みが走った。
名前を呼んだ。俺の名前を。
もう呼んでくれないと思ってた、その名前を。
ぎゅっと腕の力を強めた。小さな身体を巻き込むように抱きしめる。
ああ、何て気持ちがいいんだ。
殆ど陶然としながら、サイファーは思った。何てこの身体は温かいんだろう。
腕の中に、ぴったりと収まって、まるであつらえたみてえじゃないか。
俺に抱きしめられる為に、あるみてえだ。俺だけの為に、作られたみてえだ。
このままずっと、こうしていてえ。

「・・・離せよ・・」
小さな声に、ハッと気付いた。夢から覚めたような気持ちになった。
そうだ。本当は違う。現実はそうじゃねえ。
ゼルは俺を嫌ってる。俺に触れらたくねえと思ってる。
この腕を解けばもう二度と、触れる事は叶わない。

駄目だ。
強烈に思った。そんなのは、駄目だ。もう、触ることも出来ねえなんて。
けれど、無情な手は自分を押し退けようとしている。
怒りとも、悲しみともつかない感情が湧きあがってきた。
力任せにもう一度抱き寄せた。
最後に一言だけ、聞いてほしかった。
ずっと言いたかった言葉を。

「俺が悪かった。許してくれ。」

祈るように、返事を待った。
ゼルに、許すと言って欲しかった。
伝説のSeeDにライバルだと言われるよりも、ゼルの一言が欲しかった。
その一言だけが、欲しかった。
他には何も、欲しくなかった。


何でだよ。
ゼルはぐっと唇を噛締めた。何で、謝るんだよ。
許さないと思ったのは、サイファーが謝らないと思ったからだ。
自分がこの男に馬鹿にされてると、分ってた。
自分が指導官だった事を、侮辱のように感じているのも、気付いていた。
冷たい眼はいつも言ってた。お前は俺と対等な人間なんかじゃない、と。
指輪を投げた後、振り返ったサイファーの眼には、少しの呵責も感じられなかった。
許せなかった。
あんな風に、人の心を踏みにじる冷酷さを。
踏みにじって当然と思う、傲慢さを。
絶対に、許さないと思っていた。

だから、考えてもいなかった。
こんな声で、サイファーが謝ってくるなんて。こんな真剣な声で、謝ってくるなんて。
それに、何でさっきから離してくれないんだろう。
自分はともかく、サイファーは半身水に浸かっている。寒くないのか。いや、寒いに決まってる。
俺だったら、一刻も早く立ち上がりたい。岸に上がって体を暖めたい。
それなのに、どうして俺を離してくれないんだろう。
もう二度と離したくない、とでもいうように、固く抱きしめたままなんだろう。

ゼルは溜息をついた。
自分が本当に欲してるのは、サイファーを許さないと思い続ける事では、無い気がする。
サイファーが謝り続ける事でも、無い気がする。
俺が本当にしたいことは・・・・

身を捩って、何とかサイファーの腕を引き離した。緑の瞳が辛そうに伏せられる。
その瞳に、そっと顔を近づけた。
「もう、あんなこと、しないか?」
「しねえ。」
即座に答えが返ってきた。
「・・・じゃあ、俺がもっと元気になって、もっと水が暖かくなったら、」
ゼルはゆっくりと息を吸った。

「俺と一緒に、指輪を探してくれるか?」


サイファーの眼が大きく開いた。今聞いた言葉を、ゆっくり反芻する。
・・・一緒に?俺と、一緒に?
じわじわと胸が熱くなっていく。暖かい血が体中に回っていく。
物も言わずに抱き寄せた。細い肩に顔を埋めた。

「おう。一生かけても、探してやる。」

大袈裟だなあ、と小さな笑い声が耳元でした。
何て甘い声だろう、とサイファーは思った。
耳が溶けちまいそうだ、と思った。
あんまり幸せで、涙が出てきそうだった。

二人は河原で焚き火を起こして体を温める事にした。
パチパチとはぜる火を眺めながら、ポットの熱い茶を飲んだ。
「・・・指輪、見つかるといいなあ。」
「そうだな。」
「スコールもさ、後で一緒に探してやるって、言ってくれたんだ。」
嬉しそうに笑いながら、ゼルがサイファーを見る。
「やっぱ、スコールっていい奴だよなあ。大事な指輪を無くしちまったのに、気にするなって
言ってくれたんだぜ!早く一緒に探せるといいなあ。」

むか。

不快だ。物凄く、不快だ。
サイファーは思った。何なんだ。この不快さは。ゼルがスコールの名を口に出す度、嬉しそうに
笑う度、凄くイライラするような。黙れ、もう奴の話はするな、と怒鳴ってしまいそうな。
いや、以前だってこいつがスコールの話をするのは面白くなかったんだが。
それとは全然違う不快さだ。何て言うか、こいつが大事そうにスコールの名前を呼ぶ度に、
スコールの奴を思い切り殴ってやりたくなると言うか・・・。

「・・・それ、やめにしねえか?」
「え?」
「だから、その・・・スコールと一緒に探すのは、やめにしねえか?」
話だけでもこんなに苛つくのに、目の前で二人仲良く指輪を探されたりしたら、
目も当てられない。
「何で?」
「いや、その・・あの指輪はもう、てめぇのもんじゃねえか。スコールは関係無ねえだろ?
俺達二人で探した方がいいと思うんだ。絶対。」
力説するサイファーをゼルは不思議そうに見つめた。よく分からないが、サイファーはスコール
が来るのが嫌らしい。でも、まあ、「俺達」と言う言葉は気に入った。いい感じだ。
すごく、いい感じだ。
「ふうん。じゃ、俺達だけで、探すか。」
サイファーも、同じ事を思った。「俺達」という言葉はいい。「だけ」がつくと更にいい。
嬉しそうに口元を緩めるサイファーを見ながら、ゼルは考えた。
指輪を探すのに飽きたら、釣りをするのもいいな。
渓流釣りを極めるサイファーの横で、一緒に竿を振るのも楽しそうだ。

この間までの悲壮な気持ちが嘘のようだ。
あの時、投げられたのは自分の心のように思えた。
サイファーにゴミ屑のように捨てられた自分の心を探すのが、惨めだった。
涙が何度も出てきた。指輪が見つかるまで、俺の心は冷たい水の中にあるのだと思った。
でも今、自分の心はこんなに軽い。
指輪が心を返してくれたのだ。きっと、そうしてくれたのだ。

指輪を探しに行こう。
二人で、探しに行こう。
暖かい日差しの中で、溢れる陽光の中で。
ずっと二人で、探していよう。
END
Novelのコーナーに戻る
TOPに戻る