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2011年10月、最近の扇川
9月台風前の秋雨前線の影響で東海豪雨を思い出してしまいそうな朝からの大雨、
川の水位が高くなった事を知らせるサイレンが鳴り響き扇川も橋桁まで後50センチくらいまで増水していました。
幸い雨脚も午後からゆるみ、最悪の事態は免れました。

何時もならシーズン真っ盛りの扇川のハゼ釣りですが、
大雨でハゼが流されてしまい終えんを迎えてしまった様ですね、
今年はお盆辺りから釣り人の姿がちらほら、私も試し釣りしてみましたが例年より、
小振りのハゼにちょっと残ねん。
ここ数年、ハゼのサイズが小さくなり、数も少なくなっている様ですね。
来年に期待をし、シーズン閉幕ですね。

絶滅危惧種のカマキリ魚(鮎かけ)が水質が奇麗になったのか、やたらと釣れますよ。

2011年第16回扇川清掃ボランティアは5月31日火曜おかげさまで無事終了しました。
毎年、多くのみな様に事前回収へのご参加頂きありがとうございました。
中流域(鳴海中学校周辺)の河川改修が修了しました。残土を出し砕石により
両岸の堤防が補強され安全で奇麗な川に生まれ変わりました。
覗いてみて下さいね。


 

2004年4月25日日曜(2011年4月修正) 

(扇川に架かる橋の名前を下流より順に書きました。42カ所でした

大星橋⇒⇒汐見橋⇒⇒汐田橋 (中汐田交差点北)⇒⇒上汐田橋(人道橋) ⇒⇒鳴海橋(大浜街道)⇒⇒ 浅間橋(鳴海駅北)⇒⇒本川橋(人道橋)⇒⇒相生橋(旧東海道曲手南)⇒⇒相川橋(人道橋)⇒⇒ 中島橋(ここの下流で手越川と扇川が分れます)⇒⇒ 下焼田橋⇒⇒焼田橋(緑郵便局南) ⇒⇒国道302・名2環の橋⇒⇒七双子人道橋(人道橋)⇒⇒若田橋⇒⇒有原橋⇒⇒鳥澄人道橋⇒⇒砂田橋 (ドンキホーテ鳴海店横)⇒⇒砂田人道橋(人道橋)⇒⇒ 新鴻仏目橋 (バロー横)⇒⇒篭山橋 ⇒⇒大清水橋⇒⇒平手4号橋⇒⇒平手3号橋⇒⇒平手2号橋⇒⇒平手橋(平手交差点東)⇒⇒ 横吹橋 (エルエル東)⇒⇒乗鞍橋⇒⇒通曲橋⇒⇒扇橋 (扇台中学西)⇒⇒すえひろ橋 ⇒⇒新徳重橋(徳重交差点東)⇒⇒鶴ヶ沢橋⇒⇒ 高砂橋⇒⇒亀ヶ洞橋⇒⇒ 鶴亀橋 ⇒⇒熊の前橋⇒⇒ 熊亀橋⇒⇒兵庫人道橋(人道橋) ⇒⇒兵庫橋⇒⇒ 藤塚橋 ⇒⇒大池橋 (大池横)


 

扇川のプロフィールと歴史(ちょっと堅いお話し)

古代より、人が住みついていた鳴海、奈良時代より、成海・奈留美・成身・そして今の鳴海と変名しています。
じよ同うに扇川も 黒末川・扇子川・今の扇川と名お変え今に至っています。
古代といわれるころ、扇川の下・中流域は「あゆち潟、後に鳴海潟」と言われる、大きな干潟であり、満ち潮時現在の鳴海円龍寺辺りより大高方面見渡せば、 宮城県の松島の様な景色の良い所であったと言われています。後に、若干の地面の隆起と堤防の設置で 現在の中・下流域が形成されました。
神の倉を源流とする、延長11.5キロメートル、流域面積31.4平方キロメートルが現在の扇川です。

江戸時代物流の拠点であった扇川、「むかしもあった! 名古屋飛ばし」
新幹線のぞみだけでなく、東海道の通過点であった当時の鳴海宿、宮の宿までの数キロ、 この数キロが大変で今なら車でほんの20分 、しかし、あの頃は人は徒歩で、物は馬・大八車で運んでいたので、少しでも近くて、楽で沢山運べるほうが良いのは当たり前です。

ここで、扇川の登場です、桑名宿から宮まで海上七里(28キロ)なぜか桑名宿から鳴海宿荷揚げ所通称土場までも同じ海上七里たったんです。この事が鳴海の発展に大きく 影響を与えたのでした。桑名だけでなく海上十里(四十キロメートル)の四日市便も有ったようです。


とある資料の一節より、「江戸時代には下十貫目(現鳴海場橋下辺り)通称土場付近に船着き場ができ、郷倉が建てられ、遠出の旅人や陶器その他の荷物も ここから積み出され、伊勢、知多方面の海運の拠点となった。」表されており鳴海の物流に携わり多くの人が集まり繁栄していったことが解る。
「もっとも繁栄を見せた、大正時代、昭和初期には扇川下流域の土場の水門で水をせき止め、屋形船を浮かべ三味線太鼓を奏で芸子を招き、優雅な船遊びが盛んに行われた。」 とも記されています。

私の子供の頃、学校が終ると宿題もせず、ゴム草履を履き浅間橋の辺りより川に入り、四つ手網とバケツを持ち、日が暮れるまで扇川で魚取りをして遊んだ事が、今も懐かしい思い出です。

現在の扇川は昭和48年頃に行われた、河川改修によって川の形はさま変わりしましたが、今も緑区の真ん中をゆったり流れ、少なく残る自然を堤防遊歩道を散歩する人々が楽しんでいます。
河川法の改正により「治水だけでない河川環境をも考えた河川管理」に法が改められました。子供達の思い出作りの場所が又復活すると良いですね。

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