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【管理人PROFILE】



平成22年4月から平成24年3月まで、茨城県において1K(ロフト付き)アパートでの単身赴任生活を初体験。

自宅の恵庭市には1〜2ヶ月に1回ぐらいのペースで帰っていたが、 コンサのホーム戦に合わせて帰省するケースが多かった。

相変わらずブログを毎日のように更新していたが

ここ数年アクセス数激減のHPに関しては、 現地観戦がめっきり減ったのも影響し、2011シーズン終盤に更新を一旦ストップ。

J1が舞台となった2012シーズンに再スタートさせたものの

3月中旬以降は引っ越し準備などで気持ちに余裕が無くなり 更新が滞り気味。

しかもこの時期は毎日更新を心掛けていたブログもストップ。3月末になって再開したが毎日の更新はしていない。

単身赴任終了後の平成24年4月からは自宅通勤範囲内の部署で働いていた。

平成29年4月から1年間、北海道の東にある別海町で生涯2度目となる単身赴任生活。

月に1〜2回、自宅の恵庭市に帰っていた。

車の場合は、釧路経由で阿寒ICから道東自動車道に入り、そこから3時間走って千歳東ICから一般道に戻り約5時間かかった。

別海へ戻る際は、中間地点の帯広でビジネスホテルに1泊し、翌日釧路のイオンで食料品を買って社宅へ戻る事が多かった。

休日は30km離れた中標津で買い物をしたりAIBAで馬券を購入したり。住んでいた所にはセイコーマートが1軒あるのみ。

まともな買い物をするには最低でも13km離れた別海町(本町)へ行くしかなかった。

単身赴任を終え1年勤務したところで、国家公務員の早期退職制度を活用し、平成31年3月31日をもって39年務めた業界を去った。

引き続き4月1日から札幌駅近くのビルにあるコールセンターでパートとして勤務。

傷害保険の勧誘等でそこそこ実績を上げていたがメンタル的にきついのもあり9月25日付で退社。

その後はお暇に入り、たまにバイトをしながらスローな毎日を送りつつ、コンサドーレの応援を心底楽しむ日々。

そして2022年4月から39年務めた業界に再雇用で復帰。3年のブランクを埋めようと、日々頑張っています。


 

生年月日:昭和35年12月17日


性別:男子


趣味:高校野球・サッカー(コンサドーレのみだがW杯は観る)・プロボクシング等のスポーツ観戦。

     北海道日本ハムファイターズには関心がなく、結果も順位も興味ない……プロ野球そのものに興味なし。

     子供の頃は大の巨人ファンだった。


特技:カラオケ(演歌は歌わない)。最近は沖縄ソングを好んで唄う。


性格:血液B型+射手座の性格そのまま。
 

これまでの人生で起きた出来事

出生

昭和35年12月17日に札幌市で誕生。 父は岩手県で母は宮城県の人。 私は札幌生まれの札幌育ち。


藤の沢小学校 (小鳥の村小学校の呼び名で昔は有名)

昭和42年4月入学〜48年3月卒業。  通信簿はオール3と、全てにおいて普通。 本の朗読だけは自信があった。

札幌
オリンピック

昭和47年2月、小学5年の3学期に、札幌でアジア初の冬季五輪が開催された。

オリンピック前に地下街がオープンし地下鉄が走り始め、 札幌の街は急激に変化した。

開催期間中、学校は休みだった。

毎日練習させられた トワ・エ・モアの 「虹と雪のバラード」 は今でも歌詞を見ずに歌える。

簾舞中学校

昭和48年4月、簾舞 (みすまい) 中学入学。

当時は札幌とはいえ郊外だったせいで3つの小学校から生徒が集結。


札幌工業高校

最近、母から聞いた話。 中学の担任は創設2年目の札幌清田高校を薦めたのに

母が 「清田は遠くて通学が大変だから、ダメもとで札工(札幌工業の略)を受けさせる。

多分不合格だろうから、家から近い東海大四高へ行かせるつもり」 と担任教師に言ったそうだ。

清田へ行っていれば西 大伍クンの先輩になれた。

しかし札幌工業高校に引っ掛かってしまい、入学金や月謝が高い東海大四高は取りやめ。

電気科だったがオームの法則しか覚えていないほど工業系に関心なし。

結局1年生の3学期から、清田高校とほとんど変わらないくらい遠い新校舎へ移転。

特に2年から3年への進級は大ピンチで、危うく留年を逃れた。

就職試験シーズンになると、「工業系は嫌だ」 と言っていたクラスメイト達が目先の求人票に食いつく中

私は工業系とは無関係の会社に就職を決めた。

高校時代は文化系の部活をエンジョイするなど学業以外では充実していた。

東京へ・・・そして帰郷

三鷹市の会社寮から中央線快速で東京駅八重洲南口近くの職場に通う毎日。

さすが東京。 本当に色々な事があった。辛い出来事が多かった。

寮の管理人老夫婦が食費を競馬で使い込んだり我々に暴力を振るったり。

本社に提訴 したものの受け入れてもらえず、頭にきて退職。 それだけが理由だったわけではないが……。

7月下旬、札幌に帰郷。 僅か4ヶ月足らずだった東京での日々が、やたら長く感じた。

えっ?合格!?

狸小路5丁目の民芸品店でバイトをしつつ、父の薦めで某公務員試験を受験。

このまま民芸品店の店員で一生やっても いいと考えていた。

夏休み期間や団体観光客でも来ないと暇で、同僚の兄さん姉さんのような人達に囲まれ店内で楽しく過ごしていた。

でも予想外に公務員試験に合格。

公務員生活スタート

最初の勤務先は実家から通勤しようと思えばできる距離だったが、一応職場近くで1人暮らし。

同時期に採用された仲間が隣近所に数名いて、平日は毎晩、休日は終日遊びほうけていた。

結 婚

日頃から友人や先輩には 「30歳過ぎたら親に見合い相手を世話してもらう」 と公言していたが21歳で恋愛結婚。

我々夫婦が22〜24歳の時に生まれた子供達は、手もかからず健康に育ってくれた。

こうやってHPをやっていられるのも、実は娘の指導あってのものである。

転勤・・・転勤・・・また転勤

転居を伴う転勤に次ぐ転勤。

北海道内のみならず、首都圏へも2度行っており、とにかく1つの勤務地で3年いれば長い方。

2010年4月には生涯初の単身赴任となり、茨城県南部で1人暮らしを体験。

仕事内容は行く先々で未経験ゾーンが待っており、頭に柔軟性が無くなってきたここ数年は非常にきつい。

首都圏へ

話は前後するが、ライバルより頭1つ抜け出そうと思い、平成8年4月、ついに首都圏へ進出。

住まいは千葉県習志野市の津田沼という街。

高校卒業後、東京都三鷹市に4ヶ月居住していた当時

友人に会うため津田沼を1度訪れた事があった。 その時から線が引かれていたのかも知れない。

職場は東京メトロ六本木駅から直ぐ。 昼休みにはTBSの方などへ散歩に出かけた。

しかし自己都合で、頭1つ抜け出す権利を放棄して北海道へ戻る。

首都圏滞在中、多くの同業者と出会い、自分の出世のために子供達をこれ以上連れ回すのはやめようとか

出世よりマイホームを持ち、子供達が巣立った後に時々帰る家を用意しようとか、 人生を見つめ直す事ができた。


東京ディズニーランド

津田沼居住の間、息子と年間パスポートを買い東京ディズニーランドへ何度も行った。

年間パスポートは意外に安く (当時大人35,700円)、7回行けば元が取れた。

7回どころか、購入した2月から北海道へ戻る7月末までの半年間に20回以上訪れている。

息子はアトラクションと、トゥーンタウンの様々な仕掛けを探すのが好きで

私はレトロなポスターや看板に興味津々。 住まいからドアtoドア45分と近いのが良かった。

金曜に仕事を終えてから息子と舞浜駅で待ち合わせて閉園までブラついたり、その翌日にも終日行ったりしていた。

通常の入園料は高いので、朝早くから閉園まで滞在しなければもったいないが

年間パスだと気が向いた時に短時間の滞在でも良い。

コンサドーレ札幌との出会い

JFLからJリーグへ進出しようとしているコンサドーレ札幌について

創部2シーズン目までは新聞で試合結果を見る程度だったが

平成10年にJリーグへ昇格し、妻と1度話の種にと厚別競技場へ行ってみた。

その時はショッキングな逆転負けを喫したが、 その後、練習を見学して選手を間近で見たり

何度か競技場へ通う中ですっかり感情移入。

J1参入決定戦は、寒い中を室蘭まで2往復し、J2陥落の瞬間を現場で目にした。

敗戦後、 泣きながらコンサドーレコールを続けるサポーターを見て、これからも応援し続けようと思った。

HP開設

以前から知人らに開設すると公言していたが自信が無くスタートさせる踏ん切りがつかなかいでいた。

パワーポイントをある程度扱える私が、笑えるプレゼンテーションを作って長女に見せると

「こういうのが作れるんだったらHPだって作れるよ」 と励まされ

2002年3月に「CONSAにYELL!」という名で開設 。