50-13-001並木幹宜
「50友の会」最初小野山さんと沢山の50好きの仲間と知り合えると良いねなんて
軽い気持ちで交換日記の様に始まった小さな会、今では沢山の仲間が増えました。
メンバーもいい歳の親父から現代人の若者、職種も様々、北は青森から南は大分、
インターネットで知り合っただけのこの会正直言って途中嫌な思いをしたり、メンバーが
増えるに連れての重圧で投げ出そうとも思いました。
だけどこの会とっても暖かいんです!何時も誰かが助けてくれるんです!
そして’99.7月みんなの想いが・・・
初めこの話を聞いたとき頭が真っ白に成りました、
何をやっても手に着かない毎日が続きました、
そう、則さんが俺達と一緒に釣りをしてくれるんです!
それも、則さんの方から言ってくれたんです!!!
全国の則さん50好きのみんなも思うかもしれないけどあの則さんだよ!
フッシングショウで握手やサインを貰うこと位しか接点のない雲の上の存在の
則さんがこんな個人レベルの会の俺達と・・・
しかし、それから日が経つに連れ俺の中では則さんと会える!と云う個人的な気持ち
より「50友の会」を八郎潟に集めて則さんと楽しく過ごして貰いたいと云う気持ち
の方が強くなってきてしまいました。
そんな俺の独り善がりの気持ちは日に日に積もり色んな物を背負っての参加に成りました。
則さんの同船も俺が乗るよりみんなを載せて挙げたい!呑み会の時も俺が横に座る分
みんなを座らせて挙げたい!そんな気持ちが空回りして俺に気を使ってくれた皆には
悪い事をしてしまいました、則さん、直ぐ席を立ってしまって失礼してしまいました。
みんな「ごめんなさい」
それでも、やっぱり俺にとっては「50友の会」と云う方が大事だったのです、
なぜなら、この日まで一緒にやってきた、俺を助けてくれたみんなが其処には
居たからです。
でも呑み会の時則さんから「50友の会」の事を「俺の子供」と云ってくれたときは
其処まで背負ってきた物が「スコーン」と落ちた気持ちでした、嬉しかった、
50友の会を続けてきて本当に良かったと思った、みんなに逢えて良かったと思った、
そしたら涙が止まらなくなってしまいました・・・
その後も皆と顔を合わせる度に涙が出てきて・・・言葉には成らなかったけど
みんなに「ありがとう」と云う気持ちでした。

最後に
バス、50、則さん、仲間達、「素敵な出逢いをありがとう」
「これからもずっと宜しくです!」