|
華氏百度入道雲を一ト飲みに
近隣の神社を歩き回り、その境内で小一時間時をつ
ぶす。鎮守の森が日陰をつくり、秋の声を聞いてなお
三十度を越す暑さを和らげてくれる。『目にはさやかに
見えねども』風は明かにさわやかで物悲しい匂いをは
らんでいる。阿形の狛犬が夏の名残を腹中に収めた
せいか、翌日から鳥肌の立つほどの長雨となった。 |
秋の海ピレネーの城消え果てつ
シュールレアリズムの旗手ルネ=マグリッドはその絵からは想像もつかないほど地味な、いかにもベルギー紳士といった風貌で、近所でもその人であることはまったく知られていなかったそうである。日常にある非日常、正気の中の狂気、彼にとってその事こそ自らの絵に対する回答であったのかも知れない。彼の作品『ピレネーの城』は巨大な岩石がラピュタよろしく海上に浮かんでいる絵。岩石が消えたこの海岸は果たして日常の風景なのだろうか?
|
|
|
朝顔も名残り二輪の浜の家
九月の海水浴場。夏休みはとうに終わり、路地です
れ違うのは投げ釣りの客ばかり。それも後しばらくす
れば引けてただ静かな漁村へと戻ってゆく。 |
蜩や誰を祀るか塚二つ
今年の夏はどこかおかしかった。まだ七月だというのに蜩が鳴き、八月に油蝉が鳴く。暑さも寒さも極端で、どうにも体がついていけなかった。そんな八月の終わり、散歩途中に寄せ灯籠ならぬ寄せ宝塔を見つけた。五輪塔を模したものか、五つの石から成ってはいるが、空輪も火輪もちぐはぐでなんだか今年の夏を思わせた。ただ、樹上の蜩だけが正しい時を刻んでいた。
|
|
|
シジフォスの西日眩しき秋彼岸
シジフォスはギリシア神話に登場するコリントスの王。
ゼウスの怒りに触れ地獄で大石を山頂まで押し上げ
る刑罰を受けているが、成功は一度もない。この天邪
鬼もシジフォスのように何かに踏みつけにされ続け、
亡者さえ供養される彼岸だというのに、永遠に安寧は
ない。首を傾げて天邪鬼何をか思わん。 |
立待の月電柱に腰掛けて
|
|
|
驟雨なり紙屋の門には禊萩
この店には名前はない。県道沿いの門口に『紙』と彫
られた木看板、青桐とミソハギの花が小刻みに揺れ、
絶えず客を招いているが店で他の客に会ったことはな
い。阿波忌部氏の流れを組み、平安以前から知られ
た「上野紙」を漉けるのも、おそらくこの一軒を残すの
みとなってしまった。和紙の暖簾をくぐると八畳ばかり
の土間。紙の棚から漉かれた年月日を記した付箋が
覗く。県内産の楮紙を五六枚買い込み表に出てみれ
ばにわかの夕立。山里の雨粒は実に大きく豪快だ。 |